向かうところ敵無しと賞賛された小さな猛将
山県昌景やまがた まさかげ
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誕生 1529年(享禄2年)
生誕地  
 
 
幼名  
飯富源四郎、山県三郎兵衛昌景
官名 右兵衛尉
近親など 実兄:飯富虎昌(叔父説あり)
子:山県昌次、満山県昌満など
ゆかりの地  駿河国 江尻城
略歴 ●信玄への随身
1529年 (1歳)
甲斐国巨摩郡の国人飯富虎昌の弟(甥とも)として生まれる。

その後、兄、飯富虎昌同様武田信玄に仕える。

1552年 (24歳)
信濃攻めの功などから、150騎の侍大将に。

1555年 (27歳)
武田晴信(信玄)信濃国のほとんどを平定。

1560年 (32歳)
武田晴信(信玄)の叔父、勝沼信友が長尾景虎(上杉謙信)の調略を受け謀反を企てたことが発覚、これを誅する。

●密告
1565年 (37歳)
武田晴信(信玄)の嫡男、武田義信が謀反を計画していることを義信の傅役だった、兄、飯富虎昌から聞くと、それを伝え未遂に終わらせる。

●山縣姓
この功により、断絶していた山県の名跡を継ぐことを許され、山県昌景と名乗る。

その後も戦で功をたて、多くの武田家臣の中で、最も有力な家臣のひとりに。

1568年 (40歳)
駿河国江尻城代に。

駿府攻め

1569年 (41歳)
小田原城攻め(武田信玄)三増峠の戦で貢献。

●駿河国
駿河国の江尻城の城代に。

1572年 (44歳)
信玄の上洛戦では5千の別働隊を率いて従軍、三方ヶ原の戦では徳川家康の本陣を脅かすなど貢献。

1573年 (45歳)
武田信玄の病死により、子の武田勝頼に使える。

●長篠の戦
1575年 (47歳)
長篠の戦で敗色が濃くなると、武田勝頼撤退を進言するが聞き入れられず、奮戦の末討ち死に。
死没 1575(天正3年)5月 (享年47歳)
レクイエム 赤で統一した騎馬隊を指揮したことから、武田の赤備えと呼ばれ恐れられたが、かなり小柄だったといわれている。

武田二十四将のひとり。信玄・勝頼時代の武田四天王のひとり。