口封じのため政宗に暗殺されたと言われる
和賀忠親わが ただちか
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誕生 1576年(天正4年)
生誕地 陸奥国陸中 和賀郡
父:和賀義忠(和賀義治説もあり)
 
幼名  
元服名  
 
官名  
近親など  
ゆかりの地  陸奥国陸中 飛勢城
略歴 ●和賀家
1576年 (1歳)
陸奥国陸中の国人で飛勢城主、和賀義忠の子として生まれる。

(中略)

1590年 (25歳)
小田原城攻めには参陣せず名代のみ送ったことから、戦後、領地を没収される。

伊達政宗を頼り、胆沢郡へ移る。

●再起を賭ける
1600年 (35歳)
関ヶ原の戦の際、伊達政宗の密命により旧領回復を図り南部領にて一揆を起こすが、南部信直により平定される。

1601年 (36歳)
徳川家康から尋問のため伏見城へ来るよう呼ばれるが、西上の途上、陸奥国国分尼寺にて伊達政宗により暗殺される。
死没 1601年6月24日(慶長6年5月24日) (享年36歳)
レクイエム 和賀忠親の口封じが判明し、伊達政宗は家康から取り付けていた100万石のお墨付きを反故にされることになる。