湖西での浅井朝倉連合軍の逆襲
宇佐山の戦うさやまのたたかい
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西暦 1570年
和暦 元亀元年9月
関連する場所  近江国 宇佐山城
略図
概要 ●志賀の陣
畿内の三好勢の抵抗、本願寺の敵対(石山合戦)と、織田信長にとっては不利な展開の最中、姉川の戦で敗れた浅井・朝倉勢が琵琶湖の西岸へ3万の軍勢で進出してきた。
志賀の陣

浅井・朝倉連合軍は、金ヶ崎の退き口の際信長を助けた朽木元綱を蹴散らすと琵琶湖西岸を南下、京都への入り口に当たる森可成の宇佐山城を包囲した。

●宇佐山城
森可成は、信長へ危急を知らせる伝令を出したに違いないが、比叡山の僧兵たちが要所要所に詰め、織田の使者を討ち連絡を絶った。

宇佐山城には森可成が3千の兵とともに籠り、織田信治も2千を率いて援軍に駆けつけたが、3万の敵勢に囲まれてはとてもかなわない。森可成は500の手勢で城から打って出て玉砕した。

宇佐山城には森可成の家老、各務元正ら千余りの兵が籠っていたが、連合軍の猛攻を受けながらも最後まで耐え抜いたといわれる。

連合軍は翌日には京都に入り、各地を放火しながら二条御所を目指した。