兄から離反し三ヶ国を支配するまでに成った
浦上宗景うらがみ むねかげ
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誕生 ????年(???年)
生誕地 備前国三石
浦上村宗
 
通称 与次郎、宗景
官名 遠江守
近親など 兄:浦上政宗
子:浦上宗辰、浦上成宗など
ゆかりの地  備前国 三石城
 備前国 室津城
 備前国 天神山城(太鼓の丸城)
略歴
●浦上家
????年 1歳 備前国の戦国大名、浦上村宗の二男として三石城で生まれる
1531年 ??歳 父、浦上村宗が、細川家との戦で討ち死にしたため、兄の浦上政宗が家督を相続
その後、瀬戸内海に面した播磨国室津城を築城し移る
●兄との確執
その後、兄の浦上政宗と不仲となり、室津城を出て太鼓の丸城に入る
その後、備前国東部や美作国を支配
太鼓の丸城を拡張・改修し、天神山城とする
●本家からの離脱
1553年 ??歳 美作国勝山で、出雲国尼子晴久勢2万8千の大軍に対し、1万5千の軍勢で挑むが敗退。(美作勝山の戦)
●毛利との同盟
毛利家と同盟し、本家の浦上家と対立
1560年頃 ??歳 この頃までに、毛利家や同じ備前国の三村家の援護を受け、尼子家や本家浦上家と抗争し備前国東部を掌握
その後、三村家との関係が悪化
●毛利からの独立
1563年 ??歳 本家で兄の浦上政宗と和睦し、東の憂いを取り去り、三村家と対立
さらに毛利家とも手を切り独立
1564年 ??歳 本家の浦上政宗と、その嫡男浦上清宗が、元の主君、赤松家の一族で播磨国西部に勢力を伸ばし始めた赤松政秀に暗殺され、甥の浦上誠宗が本家の家督を相続
1567年 ??歳 明禅寺の戦で、家臣の宇喜多直家が三村家に勝利
●棟梁
本家の当主、浦上誠宗を暗殺し、実質的な浦上家の棟梁に
1568年 家臣の宇喜多直家備前国西部の金川城を攻めさせ松田元輝、松田元賢父子を討ち、備前国のほとんどと美作国の一部を勢力下に
1569年 播磨国守護で置塩城主、赤松義祐に攻められるが勝利
龍野城主の赤松政秀を攻め降伏させ、播磨国西部を支配下に
毛利家に出雲国を追われていた尼子勝久に味方し、共通の敵である毛利家に対する
1570年 上洛を果たした織田信長の部将、羽柴(豊臣)秀吉勢と、播磨国で対立
家臣の宇喜多直家が織田家についたことから、兵力が著しく低下するが、羽柴(豊臣)秀吉が深入りしせず兵を引いたために宇喜多直家が謝罪し再び臣下に
播磨国東部の別所長治攻めを行う
1571年 同盟者である阿波国の篠原長房とともに、備前国児島をめぐって毛利家と交戦し優位に立つ
1572年 毛利家が北九州から撤退し、兵力を東に集中してきたために、将軍足利義昭に仲介を頼み毛利家との和睦に成功
●三国安堵
1573年 織田信長から、備前国美作国播磨国の支配を認められる
1574年 家臣の宇喜多直家が再び離反し、攻められ始めたため、備中国の三村元親、美作国の三浦貞広らと連携し、宇喜多家に対するが、毛利家が宇喜多家に味方したために苦境に陥る
1575年 毛利家が備中国の三村元親を攻め滅ぼす
●落城
1577年 宇喜多直家が天神山城を攻め始めると、家臣の明石景親らに離反され弱体化、城を落とされる。(天神山城の戦)
播磨国小寺政職に身を寄せる
その後、織田信長の家臣荒木村重の支援を受けつつ、旧領奪回を試みるが成就せず
その後の消息は不詳
レクイエム 下克上によって三ヶ国の支配者となったが、やはり下克上により宇喜多直家に取って代わられた。まさに戦国時代の縮図を見るようである。
死没 ????年(???年) (享年??歳)