秀吉寵愛の前半生と、流刑地での後半生
宇喜多秀家うきた ひでいえ
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誕生 1573年(天正1年)
生誕地 備前国 岡山
実父:宇喜多直家、猶父:豊臣秀吉
円融院(三浦能登守の娘・異説あり)
八郎(幼名)、家氏、秀家
官名 参議、中納言
近親など 正妻:豪姫(前田利家娘・豊臣秀吉養女)
子:八郎、小平次
ゆかりの地  備前国 岡山城
略歴
●宇喜田家
1573年 1歳 備前国岡山城主、宇喜多直家の子として生まれる
●秀吉の人質
1580年 8歳 織田家の部将羽柴(豊臣)秀吉の中国進出により、秀吉の人質に
●家督相続
1581年 9歳 父の死没により、家督を継ぎ、織田信長に本領を安堵される
その際、羽柴(豊臣)秀吉の猶子に
1582年 10歳 秀吉の備中高松城水攻めに参陣
1585年 13歳 四国攻めでは讃岐方面の大将として出陣し貢献
1588年 16歳 前田利家の娘で秀吉の養女、豪姫と結婚
1590年 18歳 岡山城の大改修を開始
1592年〜 20歳 文禄の役慶長の役では大将として朝鮮へ渡海、碧蹄館の戦や順天倭城の築城などで貢献
●五大老
1598年 26歳 五大老のひとりに
豊臣秀吉死没
1599年 27歳 宇喜多騒動が勃発
明石全登を執政とし、家政の回復を図る
●関ヶ原
1600年 28歳 宇喜多騒動が解決
関ヶ原の戦では石田三成らの西軍につき、大坂城鳥居元忠を攻め討ち(伏見城の戦)、合戦では東軍の福島正則軍と互角の勝負を行うも、西軍の敗戦により改易に
その後、薩摩国の島津家に身を寄せる
その後、妻、豪姫の生家の前田利長らの懇願により徳川家康に助命され、駿府へ追放される
●八丈島
1606年 34歳 八丈島へ流罪
(中略)
1655年 83歳 八丈島で死没
レクイエム 辞世は「涙のみ流れて末は杭瀬川水の泡とや消えむとすらむ」

順風満帆の前半生と、主君の豊臣家への想いから西軍についた関ケ原以降の浮かばれない後半生は、あまりにも対照的である。特に流刑地である八丈島での50年の生活とは・・・・
死没 1655年12月17日(明暦元年11月20日) (享年83歳)