御館の乱で敗れた北条家出身の謙信後継候補
上杉景虎うえすぎ かげとら
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誕生 1553年(天文22年)
生誕地 相模国
北条氏康(実父)、武田信玄(養父)、北条幻庵(養父)、上杉謙信(養父)
遠山康光の妹
西堂丸(幼名)、竹王丸(幼名)、北条三郎、氏秀(?)、長尾景虎、上杉景虎、出西堂
官名  
近親など 正妻:北条玄庵の娘、華渓院(長尾政景の娘)
兄:北条氏政北条(大石)氏照、北条(藤田)氏邦、北条氏規など
妹:桂林院(北条夫人・武田勝頼の継室)など
子:道満丸など
ゆかりの地  相模国 小田原城
 相模国 早雲寺
 甲斐国 躑躅ケ崎館
 武蔵国 小机城
 越後国 御館
 越後国 鮫ヶ尾城
略歴
●北条家
1553年 1歳 相模国小田原城主、北条氏康の七男(または八男)として生まれる
●仏門
その後、箱根早雲寺に入る
●武田の人質
その後、甲相駿三国同盟により、甲斐国武田信玄の養子となり、躑躅ヶ崎館で人質生活を送る。(異説あり)
●北条への帰還
1569年 17歳 武田家との同盟が改称されたことから、小田原に戻される
その後、一族の長老で大叔父の北条幻庵の養子となり、幻庵の娘と結婚
武蔵国小机城主となり北条氏秀と名乗る(異説あり)
●謙信の養子
1570年 18歳 武田家対策のため結ばれた、北条家と上杉家の同盟(相越同盟)の証として、上杉輝虎(謙信)の養子に(北条幻庵の娘とは離婚)
越後国春日山城に入り、謙信の初名、景虎を授かる
その後、上杉謙信の姪(長尾政景の娘)と再婚
1575年 23歳 同じく謙信の養子の上杉景勝が、謙信から弾正少弼を譲られる
●御館の乱
1578年 26歳 謙信の死に伴い、甲斐国武田勝頼と結んだ上杉景勝と対立(御館の乱)するが敗北。関東管領上杉憲政の御館城に逃げ込む
1579年 27歳 御館城が落城し、上杉景勝に和睦を請いに向かった上杉憲政や嫡男道満丸も討たれたことから、兄北条氏政のいる相模国小田原へ落ちる途中、頼った越後国鮫ヶ尾城主、堀江宗親の謀反にあい自害
死没 1579年4月19日(天正7年3月24日) (享年27歳)
レクイエム 上杉家は古くから親族間の抗争が絶えなかったことや、謙信の実子がなかったこと、さらには謙信が遺言を残さず急死したことから、北条家出身の景虎は若くして相続争いに巻き込まれ、犠牲となった。

信玄の養子になった北条氏秀と同一人物という説もあるが、はっきりしない。