謙信の養子は寡黙な武将
上杉景勝うえすぎ かげかつ
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誕生 1556年1月8日(弘治元年11月27日)
生誕地 越後国上田
長尾政景
仙洞院(上杉謙信の姉)
卯松(幼名)、喜平次、長尾顕景、上杉景勝
官名 従四位下、弾正少弼、左近衛権少将、従三位、参議、近衛中将、権中納言など
近親など 兄:長尾義景
正妻:菊姫武田信玄の娘)
子:上杉定勝
ゆかりの地  越後国 坂戸城
 越後国 春日山城
 陸奥国岩代 黒川城(会津若松城
 出羽国羽前 米沢城
略歴
●上田長尾家
1556年
(新暦)
2歳 越後国の上田長尾家当主、長尾政景の次男として生まれる
1560年頃 6歳 この頃、伯父で春日山城主の長尾景虎(謙信)の小姓に
●謙信の養子
1564年 10歳 父、長尾政景が野尻湖で死去(溺死)したことから、上杉輝虎(謙信)の養子に
その後元服し、長尾顕景(もしくは上杉顕景)と名乗る
1570年 16歳 養父上杉輝虎が、上杉謙信と改名
1575年 21歳 養父上杉謙信から弾正少弼を譲られ、上杉景勝に改名
●謙信の死と家督相続
1578年 24歳 養父上杉謙信が急死
家督を巡り同じく養子の上杉景虎(北条家出身)と対立するが、勝利(御館の乱
1579年 25歳 武田家と同盟し、武田勝頼の異母妹、菊姫と結婚
●織田との対立
1580年 26歳 正式に上杉家を継ぐが、尾張国織田信長の部将で、越前国加賀国能登国越中国までも勢力下に置いていた柴田勝家の侵攻を受ける
1581年 27歳 北越後の新発田重家が、御館の乱の恩賞への不満から謀反(新発田重家の乱
南と北からの脅威により、滅亡の危機に
1582年 28歳 本能寺の変織田信長が死去したことから、危機を脱出
天正壬午の乱の結果、信濃国北部4郡を領土に加える
●秀吉への臣従
1583年 29歳 織田家中で柴田勝家と対立を深める羽柴(豊臣)秀吉に臣従することを決意
秀吉から、柴田勝家の与力である越中国佐々成政攻めを要請されるが、新発田重家の謀反(新発田重家の乱)や、対立していた真田昌幸や関東の北条家への警戒から積極的に動けず
1585年 31歳 羽柴(豊臣)秀吉越中国佐々成政を攻略
1586年 32歳 豊臣秀吉と越水城で面会、その臣下につく。(越水の会)
1587年 33歳 新発田城を攻め落とし新発田重家を自害させる。(新発田重家の乱の終結)
1589年 35歳 佐渡国を平定
1590年 34歳 小田原城攻めに従軍、北条家の八王子城攻めなどで貢献
1592年 38歳 豊臣秀吉の命により、朝鮮へ出兵。(文禄の役
1593年 39歳 兵に発病者が多く、帰国
●五大老
1597年 43歳 五大老のひとりに
●会津
1598年 44歳 蒲生氏郷の死去にともない、その旧領陸奥国岩代会津に加増の上移封。(安堵された佐渡国や出羽国4郡と合わせ131万石)
これにより黒川城(会津若松城主となり、東国への抑えに
    豊臣秀吉の死去により、家老の直江兼続と親交のあった石田三成とともに、徳川家康と対立
家康の上洛命令に従わず、これが家康を上杉征伐に向かわせることに
●家康への反抗
1600年 46歳 石田三成の挙兵を受け徳川家康が上方へ転進すると、家老の直江兼続を総大将として敵対していた最上義光攻めを行う。(長谷堂城の戦
関ヶ原の戦石田三成ら西軍が敗戦したことで、徳川家康に降伏するも、出羽国羽前米沢30万石に減封され、家老、直江兼続の居城だった米沢城を居城に
1623年 69歳 死没
死没 1623年4月19日(元和9年3月20日) (享年69歳)
レクイエム ほとんど笑わないような、寡黙な性格の武将だったという。

蒲生氏郷の旧領、会津への移封は、伊達や徳川といった危険な大名への目付け役として、義を重んじる景勝が適任だったためである。

関ヶ原の戦後、越後国など120万石から米沢30万石に減封されても家臣をほとんど解雇せず、家老直江兼続とともに行政を工夫して乗り切った。

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