洞ヶ峠を決め込むの語源を作った
筒井順慶つつい じゅんけい
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誕生 1549年3月31日(天文18年3月3日)
生誕地 大和国
筒井順昭
山田道安の妹
幼名 藤勝丸
藤政、陽舜坊順慶
官名   
近親など 養子:筒井定次
ゆかりの地  大和国 筒井城
 大和国 大和郡山城
 山城国 洞ヶ峠
略歴 ●大和
1549年 (1歳)
大和国興福寺の衆徒の棟梁、筒井順昭の子として生まれる。

●家督相続
1550年 (2歳)
父の死により、家督を相続。

1560年 (12歳)
信貴山城主となった松永久秀に攻められ、堺へ逃れる。

1566年 (18歳)
松永久秀と敵対した三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)と結び、筒井城を奪回。

その後、得度して陽舜坊順慶と名乗る。

1568年 (20歳)
織田信長が上洛してくると、信長に臣従した松永久秀から再び攻められる。

1571年 (23歳)
松永久秀から筒井城を追われ、辰市城へ逃れる。

●信長への臣従
辰市の戦で松永久秀に勝利し、明智光秀の仲介を受けて織田信長に臣従。

この後も織田信長に従い、一向一揆攻めなどで貢献。

1577年 (29歳)
信長に反抗した松永久秀の篭る信貴山城を、先鋒として攻め自害させる。(信貴山城の戦

1578年 (30歳)
織田信長から、大和国守護に任じられる。

1580年 (32歳)
織田信長の一国破城(一国一城令)に従い大和郡山城を築城し居城に。筒井城は廃城に。

1581年 (33歳)
第一次天正伊賀の乱に従軍。

●洞ヶ峠の日和見
1582年 (34歳)
本能寺の変により主君織田信長を自害させた明智光秀が、洞ヶ峠まで出向き味方に誘ったが、日和見を決め込む。

その後羽柴(豊臣)秀吉に仕える。

1584年 (36歳)
高取城を支城として復興。

大和国郡山城で病死。
死没 1584年9月15日(天正12年8月11日) (享年36歳)
レクイエム 仲の良かった明智光秀からの誘いに対し、あれこれ理由をつけて返事を引き延ばし日和見を決め込んだことが、後に「洞ヶ峠を決め込む」という慣用句になったが、洞ヶ峠で順慶の返事を待っていたのは明智光秀だった。