名城弘前城を築いた津軽の暴れ者
津軽為信つがる ためのぶ
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誕生 1550年(天文19年)
生誕地 陸奥国陸奥
久慈氏(元から大浦氏との説あり)
 
幼名  
元服名  
大浦為信、津軽為信
官名 従五位下、右京大夫
近親など 正室:阿保良(大浦為則の娘)
子:津軽信建、津軽信堅、津軽信牧など
ゆかりの地  陸奥国陸奥 大浦城
 陸奥国陸奥 石川城
 陸奥国陸奥 堀越城
 陸奥国陸奥 弘前城
略歴 ●久慈家
1550年 (1歳)
南部一族である久慈家に生まれる。

●大浦家の養子
1567年 (18歳)
津軽郡大浦城主、大浦為則の養子となる。

その後、病弱な養父から家督を相続し大浦城主に。

●南部氏への挑戦と津軽での拡大
1570年 (21歳)
南部家で嫡子争いが勃発。(屋浦の変)

1571年 (22歳)
南部家の養子、南部信直の実父、石川高信の居城、石川城を攻め落とす。(大仏ヶ鼻城の戦)
これにより、南部宗家と敵対関係に。

1578年 (29歳)
陸奥国国司の北畠顕村の居城、浪岡城(浪岡御所)を攻め落とす。

1588年 (39歳)
この頃までに南部家の属城を次々と攻略し、津軽地方を平定。

●秀吉への接近
1590年 (41歳)
豊臣秀吉小田原城攻めの際、公家の近衛前久に接近、その伝を利用し豊臣秀吉から本領(3万石)を安堵される。

豊臣秀吉の命で、姓を津軽に改める。

豊臣秀吉奥州仕置

1591年 (42歳)
九戸政実の乱では、豊臣秀吉の指示により従軍。

1592年〜1597年 (43歳〜48歳)
文禄の役慶長の役では、肥前国名護屋城に在城。

1594年 (45歳)
堀越城を居城に。

1598年 (49歳)
豊臣秀吉死没。

●家康への臣従
1600年 (51歳)
関ヶ原の戦では東軍につく。

留守中に家臣の反乱にあい、居城の堀越城を一時奪われるがのちに鎮圧。

戦後、上野国大館2千石を加増される。

1603年 (54歳)
堅固とは言えない堀越城に替わる城を、鷹岡に築城開始。(弘前城

1607年 (57歳)
嫡男、津軽信建が病没。

1608年 (58歳)
京都にて死没。
死没 1608年1月22日(慶長12年12月) (享年58歳)
レクイエム 南部家からの独立には、南部宗家と対立していた九戸政実の手引きがあったという説が有力。