秀吉の期待を一身に集めた豊家の跡取
豊臣秀頼とよとみ ひでより
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誕生 1593年8月29日(文禄2年8月3日)
生誕地 摂津国 大坂城
豊臣秀吉
淀殿
幼名
官名 従三位、左近衛権少将、従二位、中納言、権大納言、正二位、内大臣、右大臣
近親など 正妻:千姫徳川秀忠於江与の方の娘)
側室:和期の方、小石の方など
子:国松丸、天秀尼
ゆかりの地  山城国 伏見城
 摂津国 大坂城
略歴 ●秀吉の後継者
1593年 (1歳)
長男の夭折により嫡子のいなかった豊臣秀吉の子として生まれる。

1595年 (3歳)
秀吉の後継者で養子の豊臣秀次が自害させられたことから、秀頼が秀吉の後継となり、伏見城に入城。

●父、秀吉の死
1598年 (6歳)
父、秀吉死没。豊臣家当主に。

●大坂城
1599年 (7歳)
父、豊臣秀吉の遺命により、大坂城の本丸に入城。

大坂城の西の丸に徳川家康が入城。

1600年 (8歳)
関ヶ原の戦で、西軍の総大将に担がれるが敗戦。
これにより直轄領200万石を、摂津国河内国和泉国の65万石に削られる。

1603年 (11歳)
徳川秀忠の長女千姫と結婚。

1611年 (19歳)
徳川家康から再三伺候要請を受け、二条城で対面。

●大坂の陣
1614年 (22歳)
方広寺鐘銘事件

大坂冬の陣では、母の淀殿が反対したことから出陣せず。

1615年 (23歳)
大坂夏の陣でも出陣しないまま敗戦、母の淀殿とともに大坂城の山里曲輪で自害。
死没 1615年6月4日(慶長20年5月8日) (享年23歳)
レクイエム 1611年の対面の際徳川家康は、聞いていたよりも秀頼がずっとりっぱな若者だったことから、徳川の将来に危惧を感じ、豊臣家を滅ぼす決意をしたとされる。