大和中納言と呼ばれた秀次の弟
豊臣秀保とよとみ ひでやす
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誕生 1579年(天正7年)
生誕地 尾張国 中村
実父:三好吉房(木下弥助)、養父:豊臣秀長
日秀(豊臣秀吉の姉)
幼名 辰千代
羽柴秀保、豊臣秀保
通称 大和中納言、郡山中納言
官名 従四位下、参議、従三位、権中納言
近親など 正妻:きく(豊臣秀長の娘)
兄:豊臣秀次豊臣秀勝
ゆかりの地  大和国 大和郡山城
略歴 ●秀吉の甥
1579年 (1歳)
尾張国の土豪、木下弥助(三好吉房)と、羽柴(豊臣)秀吉の姉、ともの三男として生まれる。

1586年 (8歳)
叔父の羽柴(豊臣)秀吉が太政大臣に。

1590年 (12歳)
叔父の豊臣秀吉が天下を統一。

●養父、秀長
1591年 (13歳)
秀吉の弟で、大和大納言の豊臣秀長の娘、きくと結婚し、秀長の養子に。

●郡山城
養父の豊臣秀長が死没。
13歳ながらも家督を相続し、大和郡山城主に。(紀伊国大和国和泉国110万石)

藤堂高虎、桑山重晴が家老に。

従四位下、参議に。

豊臣秀吉が兄、豊臣秀次に関白を譲り太閤に。

1592年 (14歳)
文禄の役では渡海せず、名護屋に在陣。

従三位、権中納言に。これを受け大和中納言と呼ばれるように。

1595年 (17歳)
病死。(溺死説などあり)

これにより、大和豊臣家は断絶。
死没 1595年5月24日(文禄4年4月16日) (享年17歳)
レクイエム 溺死説とは、小姓の勇気を試そうと崖の上から川へ飛び込むよう命じたが抗われたため、自ら小姓に抱きつき飛び込んだものの溺れてしまった、というもの。