秀吉の後嗣問題に振り回された、殺生関白
豊臣秀次とよとみ ひでつぐ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1568年(永禄11年)
生誕地 尾張国 中村
実父:三好吉房(木下弥助)、養父:宮部継潤、義父:豊臣秀吉
日秀=とも(秀吉の姉)
幼名 信吉
次兵衛、孫七郎、三好信吉、羽柴秀次、豊臣秀次 
官名 従四位下参議、従四位下右近衛中将、正三位権中納言、正二位内大臣、正二位左大臣、関白など
近親など 正室:一の台(菊亭晴季の娘)
側室:駒姫最上義光の娘)など多数
弟:豊臣秀勝(秀吉の養子)、豊臣秀保豊臣秀長の養子)
ゆかりの地  近江国 八幡山城
GOOGLE MAP 山城国 聚楽第
 紀伊国 高野山
略歴 ●三好家の養子
1568年 (1年)
尾張国の土豪、木下弥助(三好吉房)と、木下藤吉郎(豊臣秀吉)の姉、ともの長男として生まれる。

1572年 (5歳)
近江国宮部城主、宮部継潤の養子に。

1573年 (6歳)
三好康長(河内国)の養子に。

●秀吉の養子
1582年頃 (15歳)
三好家を去り、秀吉の養子に。

1583年 (16歳)
賤ヶ岳の戦で活躍。

●小牧・長久手での敗戦
1584年 (17歳)
小牧・長久手の戦で、池田恒興堀秀政森長可を配下に総大将として徳川家康三河国へ中入り(留守をつくこと)を図るが榊原康政に攻められ失敗。

1585年 (18歳)
紀伊攻め、四国攻めで貢献。

●近江八幡
近江国43万石を拝領。八幡山城主に。

1590年 (23歳)
小田原城攻めに従軍。山中城攻めなどで貢献。

●百万石の太守
尾張国伊勢国北部を加増され、100万石の大大名に。

1591年 (24歳)
秀吉の子、鶴丸の死去により、秀吉の後継者に指名される。

●関白
秀吉から関白を譲られる。

聚楽第に居を移す。

1593年 (26歳)
秀吉にお拾い(秀頼)が生まれると、秀吉から疎まれるようになり、それが元でしばしば乱行を起こす。(罪のない人々を撃ち殺したり、聖地である比叡山で狩をしたり。これにより殺生関白と言われるように)(異説あり)

●秀吉からの不信
1595年 (28歳)
秀吉に対する謀反の嫌疑をかけられる。
理由は、朝廷に多額の献金をした、または諸大名に対し自分に忠誠を誓わせるための連判状の存在が明らかになったためといわれる。

高野山に追放される。

左大臣・関白を剥奪される。

秀吉の命を受け切腹。検死は福島正則

その後、秀次の側室も含めた妻子39名が三条河原で斬首され、前野将右衛門ら家臣も切腹を命じられた。
秀次事件
レクイエム 後半生には「殺生関白」という烙印が押されたが、初めに拝領した近江国の領民からは、「市の恩人」「名君」として称えられていた。こちらが本来の秀次像であると思う。

秀吉の後継者問題に引っ掻き回された人生であった。
死没 1595年8月20日(文禄4年7月15日) (享年28歳)