豊臣政権を陰でささえた名参謀の弟
豊臣秀長とよとみ ひでなが
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1540年4月8日(天正9年3月2日)
生誕地 尾張国 中村
木下弥右衛門(竹阿弥という説もあり)
仲(大政所)
幼名 小竹
木下小一郎、羽柴小一郎、羽柴長秀、羽柴秀長、藤原秀長 豊臣秀長
通称 大和宰相、大和大納言
官名 従五位下、美濃守、従四位上、参議、右近衛権中将、従三位、権中納言、正三位、従二位、権大納言など
近親など 正室:智雲院(藤・秋篠伝左衛門の娘)
姉:日秀
兄:豊臣秀吉
妹:旭姫(佐治日向守正室・徳川家康正室)
子:小一郎、大善院(毛利秀元の正室)、きく(豊臣秀保の正室)など
養子:羽柴(藤堂)高吉、豊臣秀保(姉日秀の子)
ゆかりの地  但馬国 竹田城
 但馬国 有子山城
 大和国 大和郡山城
 紀伊国 和歌山城
略歴 ●秀吉の弟
1540年 (1歳)
木下(豊臣)秀吉の弟として生まれる。

尾張国中村で、農民として過ごす。

1559年頃 (20歳)
家臣の少ない兄木下(豊臣)秀吉の要請を受け武士に。

1564年 (25歳)
初陣。

1573年 (34歳)
小谷城の戦に参陣。

1577年 (38歳)
羽柴(豊臣)秀吉播磨国但馬国平定戦に従軍し戦功を上げる。
但馬国竹田城代に。

1578年 (39歳)
毛利家へ寝返った別所長治の籠る三木城兵糧攻めに参陣。

1579年 (40歳)
播磨国へ撤退。

1580年 (41歳)
再び但馬国へ侵攻し平定。
但馬国、有子山城主に。

1581年 (42歳)
鳥取城兵糧攻めに参陣。

1582年 (43歳)
備中高松城の水攻めに参陣。

本能寺の変

中国大返し

山崎の戦

●但馬国と播磨国
1583年 (44歳)
賤ヶ岳の戦で活躍、但馬国播磨国を与えられる。

1584年 (45歳)
小牧・長久手の戦で活躍。

●大和大納言
1585年 (46歳)
秀吉が関白となると、秀長は和泉国紀伊国大和国を所領とする110万石の大大名に。大和郡山城を居城に。

紀伊国支配のため、和歌山城を築城。

四国攻めの総大将として貢献。

1587年 (48歳)
九州攻め日向国方面の総大将を任される。

大納言になり、大和大納言と呼ばれる。

1591年 (51歳)
姉の三男、豊臣秀保を養子に。

病没。
レクイエム 兄秀吉に、「内内の儀は宗易(千利休)に、公の儀は宰相(秀長)に」と言わしめるほど信頼は篤く、常に秀吉の片腕として活躍した。

豊臣政権の中でも、秀吉に意見できる数少ない貴重な存在で、秀長が生きていれば利休や関白秀次への切腹命令や無謀な朝鮮侵攻も起きなかったのではないか。

温厚な性格で、内政や家臣間の調停などに手腕を発揮し、秀吉にはなくてなならない名補佐役だった。

その死後、豊臣家には何ひとついいことは起こらなかった、とまで言われている。
死没 1591年2月15日(天正19年1月22日) (享年52歳)