外様ながら家康に信頼さた築城の名手
藤堂高虎とうどう たかとら
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誕生 1556年2月16日(弘治2年1月6日)
生誕地 近江国 藤堂
藤堂虎高
 
幼名 与吉
藤堂与右衛門 藤堂高虎
官名 佐渡守、和泉守
近親など 子:藤堂高次など
ゆかりの地  近江国 藤堂
GOOGLE MAP 紀伊国 赤木城
GOOGLE MAP 伊予国 宇和島城
 伊予国 大洲城
 伊予国 今治城
 伊勢国 津城
 伊賀国 伊賀上野城
略歴 ●近江
1556年 (1歳)
近江国藤堂村の土豪の子に生まれる。

●浅井家への随身
その後、浅井長政に仕える。

1570年 (15歳)
姉川の戦に浅井方として出陣し、功を立てる。

1573年 (18歳)
浅井長政の元を去り、同様に長政に見切りをつけて織田信長についていた阿閉貞征に仕える。

3ヶ月で見限り、同じ信長方の磯野員昌に仕える。

●秀長への随身
1576年 (21歳)
磯野員昌の元を去り、羽柴(豊臣)秀吉の弟、羽柴(豊臣)秀長に仕える。

信長の安土城築城に参加し、このとき築城術を学ぶ。

1577年 (22歳)
中国の毛利家攻略にあたるべく、主君羽柴(豊臣)秀長とともに播磨国に赴任。

地元の豪族たちを織田信長につかせることに成功。

1580年 (25歳)
播磨国三木城兵糧攻めに参加。

1582年 (27歳)
山崎の戦で、秀長の先鋒をつとめ功を立てる。

1583年 (28歳)
賤ヶ岳の戦で、柴田方先鋒の佐久間盛政を敗走させるなど活躍。

1584年 (29歳)
小牧・長久手の戦で、伊勢国松ヶ島城攻めで功を立てる。

1585年 (30歳)
紀州攻めでも活躍。その際、水軍で有名な熊野党に知己を待つように。

主君、豊臣秀長紀伊国和泉国の領主になったことから、和歌山城の普請奉行に。

四国攻めで貢献。

豊臣秀長大和国も拝領し110万石の大大名になると、紀伊国那賀郡粉河など約1万石を拝領。

1587年 (32歳)
九州攻めで貢献。

1588年 (33歳)
赤木城を築城し、熊野の北山一揆を平定。

●豊臣秀保の家老
1591年 (36歳)
豊臣秀長の死により、養子の豊臣秀保が家督を継ぎ、高虎もそのまま家老に。

1592年 (37歳)
文禄の役では朝鮮へ渡海。

1594年 (39歳)
豊臣秀保の変死により出家、高野山へ。

その後豊臣秀吉に呼び戻され、伊予国板島(現在の宇和島)7万石を拝領、丸串城(宇和島城)主に。

その後大洲城を居城に。

1597年 (42歳)
慶長の役(第二次朝鮮出兵)では、朝鮮水軍に勝利するなど活躍。

●家康への随身
1598年 (43歳)
帰国後、板島丸串城を改修し、宇和島城と改称。

豊臣秀吉の死後は徳川家康に接近。

朝鮮からの撤兵奉行として活躍。

1600年 (45歳)
家康の会津上杉征伐に参加。

関ヶ原の戦では大谷吉継隊と戦う。
また、脇坂安治小川祐忠朽木元綱赤座直保を寝返らせることにも成功。

●伊予国
これらの功により、戦後は伊予国今張(今治)20万石に加増の上移封される。

その後も外様大名でありながら、家康の側近として仕える。

1604年 (49歳)
今治城を築城。

1608年 (53歳)
伊賀国一国と伊勢国8郡、合計23万石に加増の上転封、伊勢国津藩主に。

津城を居城に。

伊賀上野城を大改修し、日本一の高石垣や5重の天守を築く。

1614年 (59歳)〜
二度の大坂の陣(大坂冬の陣大坂夏の陣)でも、徳川方として参戦。

戦後は、徳川家康を守った功により32万石に加増される。

1620年 (65歳)
徳川和子の入内の際、その露払いをつとめる。

1630年 (75歳)
死没。
レクイエム 築城の名手のひとりで、江戸城の大改修にも貢献した。

家康の腰巾着という悪口も聞かれるが、自分を買ってくれる主人に律儀に仕えた好人物だと思う。

子供の頃から、その大柄な体を生かして戦で活躍し、長い間の戦暮らしのため、手足のほとんどの爪を失っていたといわれる。

大成したあとは、武芸中心の自分に反省し、耳学問などによって教養を高める努力もした。
死没 1630年11月9日(寛永7年10月5日) (享年75歳)