城兵に真実を叫び殺害された長篠の勇士
鳥居強右衛門とりい すねえもん
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誕生 1540年(天文9年)
生誕地 三河国 宝飯郡
 
 
幼名  
鳥居強右衛門、鳥居勝商(?)
官名  
近親など  
ゆかりの地  三河国 長篠城
 三河国 岡崎城
略歴
●三河
1540年 1歳 三河国宝飯郡に生まれる。(詳細不明)
その後、奥三河の奥平家の家臣(もしくは陪臣)に
奥三河の作手城主、奥平貞能の子として生まれる
●松平(徳川)家
1560年 21歳 桶狭間の戦で臣従してきた今川義元が死没したことから、主家、奥平家は松平元康(徳川家康)に臣従
●武田家
1571年 32歳 武田信玄の三河侵攻を受け、奥平家は徳川家康から離反し武田家に臣従
1572年 33歳 三方ヶ原の戦。(参陣したかは不明)
●徳川家への臣従と家督相続
1573年 34歳 武田信玄の死を確信した主君奥平貞昌(信昌)は、武田家から徳川家に再び寝返り、長篠城主に
●長篠の戦
長篠の戦では、奥平貞昌(信昌)に従い長篠城に入城するが、武田勝頼の1万5千に包囲される
兵糧庫を焼かれるなどで落城間近となり、徳川家康への援軍要請の使者となり、城の下水口から抜け出すことに成功、岡崎城へ入り徳川家康に拝謁。
家康から織田・徳川連合軍、3万8千が長篠へ向かうことを知る
援軍到着が近いことを知らせるべく長篠城に戻るが、武田軍に捕らえられる
武田勝頼から、「援軍は来ないから籠城は無駄であると長篠城内に呼びかければ、助命しその後も武田家臣として厚遇する」と言われ、一旦これを承諾
城内に向かって、「援軍は間もなく到着する、それまで辛抱しよ」と呼びかけ、武田軍により処刑される
その後、長篠城は落城を免れ、長篠の戦での織田・徳川連合軍が大勝することになる
死没 1575年5月16日(天正3年6月24日)(翌日説あり) (享年36歳)
レクイエム 強右衛門の機転を利かせた発言が、長篠城の奥平勢を救い、織田・徳川連合軍の大勝につながった。
長篠城が万一落ちて武田兵が入城していたら、歴史は変わっていた可能性もある。この時までに織田信長は、長年の仇敵、浅井家、朝倉家を滅ぼし、第三次伊勢長島攻め伊勢国を平定してはいたが、大坂の本願寺や紀伊国の雑賀衆といった強敵は残っていたためである。