西軍相手に伏見城で徹底抗戦し散った老将
鳥居元忠とりい もとただ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1539年(天文8年)
生誕地  
鳥居忠吉
 
幼名 鶴之助
鳥居彦右衛門元忠
官名  
近親など 正室:馬場信房の娘
子:鳥居忠政など
ゆかりの地  下総国 矢作城(大崎城) (このあたり)
 山城国 伏見城
略歴 ●家康への随身
幼少の松平元康(徳川家康)の側近として、織田家や今川家での人質生活にも同行。

1558年 (20歳)
松平元康(徳川家康)の初陣に付き添う。

●岡崎
1560年 (22歳)
家康が岡崎城に入城。

1571年 (33歳)
姉川の戦に参陣し功をたてる。

●家督
1572年 (34歳)
父の死により、家督を相続。

武田信玄との三方ヶ原の戦に参陣。

1575年 (37歳)
武田方の諏訪原城攻めで左足を負傷し不自由となる。

1581年 (43歳)
武田方の篭る高天神城奪回戦(高天神城の戦(第二次))で貢献。

1582年 (44歳)
武田攻めに参陣。(天目山の戦

天正壬午の乱では、黒駒の戦などで貢献。

1590年 (52歳)
小田原城攻めに参陣。

●下総
徳川家康の関東移封にともない、下総国矢作に4万石を拝領。

●伏見城籠城
1600年 (62歳)
関ヶ原の戦の直前、上杉征伐に向かった徳川家康から伏見城の守備を任され、宇喜多秀家らの4万の軍勢から攻められるも1800の寡兵を従い徹底抗戦し、西軍を2週間も釘付けにしたのち討ち死に。
死没 1600年(慶長5年)8月 (享年62歳)
レクイエム 家康から伏見の守将を命ぜられたとき、西軍相手の捨石であることをわかっていたはずである。

東軍に与しようと決意した島津義弘が、戦になるのを防ごうと伏見城への入城を求めたが、断固として拒否した。

それは、捨石になるのは自分だけで充分、という心意気によるものといわれている。

別の見方をすれば、島津勢を入場させると西軍が決起を辞める可能性もあり、そうなると家康の天下取りが遠のいてしまうと判断したのではないであろうか?

いずれにしろ、本当に潔い部将である。