江戸城を任された北条五宿老のひとり
遠山綱景とおやま つなかげ
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画像  
誕生 1513年(永正10年)
生誕地  
父:遠山直景
幼名
遠山綱景
官名 甲斐守、丹波守
通称  
近親など 子:遠山隼人佐、遠山政景、法性院(北条氏康の養女・太田康資の正室)
ゆかりの地  武蔵国 江戸城
 武蔵国 葛西城
略歴 ●遠山家
1513年 (1歳)
相模国伊勢盛時(北条早雲)の家臣、遠山直景の子として生まれる。

1518年 (6歳)
北条氏綱が北条家を相続。

1519年 (7歳)
伊勢盛時(北条早雲)が死没。

●江戸
1524年 (13歳)
北条氏綱が、扇ガ谷上杉家の武蔵国江戸城を攻略。
父、遠山直景、富永氏、太田氏とともに江戸城代に。

その後、北条氏綱から偏諱を受け、綱景と名乗る。(時期は不詳)

●城代
1533年 (22歳)
父、遠山直景が死没。
父同様、江戸城代に。

1538年 (27歳)
第一次国府台合戦北条氏綱が小弓公方、足利義明、真里谷信応、里見義堯らに勝利し、北条氏の勢力は相模国武蔵国に加え下総国まで拡大。

1541年 (30歳)
主君、北条氏綱が死没。子の北条氏康が当主に。

1546年 (35歳)
河越夜戦で、北条氏康が両上杉家や古河公方足利晴氏に勝利。

1558年頃 (47歳)
葛西城主に。

●太田康資の離反
1562年 (53歳)
同じ江戸城代で娘婿の太田康資が北条家から離反、上杉輝虎(謙信)に寝返り、太田資正の岩槻城に逃亡。

1563年 (54歳)
主君北条氏康武蔵国松山城を攻略し、岩槻城の太田資正、太田康資攻めに向かう。

●第二次国府台合戦
上杉輝虎(謙信)からの両太田家救援命令を受けた安房国上総国里見義堯里見義弘父子が大軍で国府台城に入城。

1564年 (55歳)
第二次国府台合戦の前、太田康資の離反を見抜けなかった責任感から本隊に先駆けて国府台城へ向かい江戸川を渡って里見勢と交戦、子の遠山隼人佐とともに討ち死に。
レクイエム  
死没 1564年2月19日(永禄7年1月7日) (享年55歳)