関ヶ原の論功調査を任された外様大名
徳永寿昌とくなが ながまさ
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誕生 1549年(天文18年)
生誕地 近江国 神崎郡
徳永昌利
 
幼名  
権之進、徳永昌時
官名 下総守、石見守、式部卿法印
近親など 子:徳永昌重、徳永昌成、徳永昌純、徳永昌明など
ゆかりの地  美濃国 松ノ木城(高松城)(場所は不明)
 美濃国 高須城
略歴 ●近江
1549年 (1歳)
近江国神崎郡の土豪、徳永昌利の子として生まれる。

●柴田勝豊への随身
その後、柴田勝豊へ仕える。

1583年 (35歳)
主君、柴田勝豊が、叔父の柴田勝家から羽柴(豊臣)秀吉に寝返る。

賤ヶ岳の戦でも、羽柴(豊臣)秀吉に味方。

主君、柴田勝豊が病没。

●城主
羽柴(豊臣)秀吉に直接仕え、美濃国松ノ木城主に。(3万石)

1598年 (40歳)
豊臣秀吉が死没。

徳川家康らの命により、朝鮮出兵中の諸将への撤兵令を伝える。

●関ヶ原
1600年 (42歳)
関ヶ原の戦の際は徳川家康に味方し、西軍についた高木盛兼の高須城攻めや駒野城の池田秀氏攻めなどで貢献。

戦後、2万石を加増され高須城主に。(初代高須藩主・5万石)

また、関ヶ原の戦の論功行賞を検討する役に、外様大名では唯一指名される。

1612年 (54歳)
死没。
死没 1612年8月6日(慶長17年7月10日) (享年54歳)
レクイエム 名の読みは「ながまさ」が一般的だが、詳細は不明で、「ひさまさ」という説もある。