美濃を失った名家の末裔
土岐頼芸とき よりよし
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誕生 1502年(文亀2年)
生誕地 美濃国
土岐政房(美濃国守護)
 
幼名  
(読み方は、よりあき、または、よりなり、という説もあり)
官名  
近親など 兄:土岐頼武
正室:六角定頼の娘
側室:深芳野(後に斎藤道三の側室)など
子:斎藤義龍(?)など
ゆかりの地  美濃国 鷺山城
 美濃国 揖斐城
 美濃国 大桑城
略歴 ●美濃守護家
1502年 (1歳)
美濃国守護、土岐政房の二男として生まれる。

●クーデター
1527年 (26歳)
家臣の西村正利(斎藤道三)の進言を容れ、兄で守護の土岐頼武を攻め越前国へ追放し、美濃国守護を名乗り、鷺山城主に。

その際、功のあった西村正利(斎藤道三)を稲葉山城主に。

1528年 (27歳)
愛妾の深芳野を、家臣の斎藤利政(道三)に下賜。

●追放
1542年 (49歳)
斎藤利政(道三)に攻められ、一時国主の座を奪われるが、尾張国織田信秀や、越前国の朝倉氏の援護により和睦し、揖斐城に入城。
その際、先に追放した兄で元守護の土岐頼武の遺児、土岐頼純は大桑城に入城。
大桑城の戦(第一次)

1547年 (54歳)
尾張国織田信秀が、斎藤道三の稲葉山城を攻めるが落ちず。(加納口の戦)

甥の土岐頼純が病死したことから、大桑城に入城。

1548年 (55歳)
斎藤道三が、尾張国織田信秀と和睦。

斎藤道三に大桑城を攻められ、娘の嫁ぎ先、六角家を頼り近江国へ逃亡。

1582年 (89歳)
これより前、元家臣の稲葉一鉄により美濃国に戻る。

死没。
死没 1582年(天正10年)12月 (享年89歳)
レクイエム 土岐家は絵画の才に富んだ家柄で、頼芸も鷹の絵を好んで描いた。

愛妾、深芳野が産んだ斎藤義龍の実父だったという説もある。