長崎奉行を務めた唐津城主
寺沢広高てらざわ ひろたか
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誕生 1563年(永禄6年)
生誕地 尾張国
寺沢広政
 
幼名  
忠次郎、寺沢正成、寺沢定政、アゴスティニョ
官名 従四位下、志摩守
近親など 正室:妻木貞徳の娘
子:寺沢堅高など
ゆかりの地  肥前国 唐津城
 肥前国 富岡城
略歴 ●尾張
1563年 (1歳)
織田信長の家臣、寺沢広政の子として生まれる。

その後、父、寺沢広政が羽柴(豊臣)秀吉の家臣となる。

●秀吉の家臣
その後、父とともに羽柴(豊臣)秀吉に仕える。

1587年 (25歳)
九州攻め

その後、薩摩国出水郡など2万石を拝領し大名に。

1592年 (30歳)
豊臣秀吉の命により、朝鮮出兵の拠点である名護屋城築城に貢献。

長崎奉行に。

二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)では、名護屋にあって兵糧方として貢献。

1593年 (31歳)
肥前国上松浦郡など6万3千石を加増され、8万3千石に。

●キリシタン
1594年 (32歳)
キリシタンとなり、アゴスティニョの洗礼名を受ける。

1595年 (33歳)
明からの講和使を迎えるため、朝鮮へ渡海。

1596年 (34歳)
父、寺沢広政が死没。

1597年 (35歳)
キリシタン26名の処刑(日本二十六聖人の殉教)を受け、棄教。

●家康への接近
1598年 (36歳)
豊臣秀吉が死没すると、徳川家康に接近。

1600年 (38歳)
関ヶ原の戦でも東軍につき参陣。

戦後、天草4万石を加増され、12万3千石に。

●初代唐津藩主
1602年 (40歳)
唐津城を築城(大改修)し居城に。

その後、新田開発の一環として、防砂林(現在の虹の松原)を造成。

1605年 (43歳)
天草統治のために富岡城を築城。

1614年 (52歳)
大坂冬の陣に参陣。

1625年 (63歳)
隠居し、子の寺沢堅高に家督を譲る。

1633年 (71歳)
死没。
死没 1633年5月18日(寛永10年4月11日) (享年71歳)
レクイエム 広高死後、2代藩主、寺沢堅高の時に起こった島原の乱の責任を受け、寺沢氏は失脚する。

日本三大松原のひとつ、虹の松原は、広高が防砂林として造成したもの。

優秀な家臣を多く抱えるため自ら倹約に努め、実際に千石以上の家臣が40人もいたという。