最上家に最後まで抗った最上八楯の盟主
天童頼澄てんどう よりずみ
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誕生 ????年(????年)
生誕地 出羽国羽前天童
天童頼貞
国分盛氏の娘
幼名 三郎
天童頼久、天童頼澄
官名  
近親など 正妻:細川直元の娘
養子:天童重頼(留守政景の子)
弟:東根頼景
姉(妹?):最上義光の側室
妹:秋保直盛の正室
ゆかりの地 地図: 出羽国羽前 天童城
略歴 ●天童家
1568年 (1歳)
出羽国羽前天童城主、天童頼貞の子として生まれる。

天童家は、延沢城主の延沢家、村上の飯田家、 尾花沢城主の尾花沢家、楯岡城主の楯岡家、長瀞城主の長瀞家、上山の六田家、天童の成生家ら最上八楯の盟主として、縁戚の最上家とは敵対関係にあった。

●家督
1579年 (12歳)
父の死により、家督を相続

●最上家の攻勢
1580年 (13歳)
八楯と同盟関係にあった上山城主の上山満兼が、最上義光に攻められ討ち死に。

1581年 (14歳)
弟で東根城主、東根頼景が、最上義光の謀略により討ち取られる。

正妻の父で小国城主の細川直元が、最上義光に攻められ討ち死に。(万騎ヶ原の戦)

1582年 (15歳)
八楯の有力者、延沢満延が、最上義光の重臣、氏家盛棟からの調略により八楯から離反。
これにより、最上家へ寝返りする者が続出。

●落城
1584年 (17歳)
最上勢に攻められ天童城が落城、頼澄は母の実家、国分家を頼って宮城郡へ落ちる。

????年 (??歳)
その後、妹の夫で名取郡秋保の秋保直盛の元へ移る。

1590年 (23歳)
会津黒川城(会津若松城へ赴き、伊達政宗に面会、宮城郡利府に1000石を拝領。

その後、天童頼久から頼澄と改名。

子がいなかったため、留守政景の次男(天童重頼)を養子に。

????年 (??歳)
死没。
死没 ????年(????年)??月 (享年??歳)
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