宗麟の義兄は反キリシタン筆頭
田原紹忍たわら じょうにん
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誕生 ????年(????年)
生誕地 豊後国
奈多鑑基
 
幼名  
田原親賢、紹忍、不思軒
官名 尾張守、近江守、民部大輔
幕職  
近親など 妹:奈多夫人(大友宗麟の正室)など
養子:田原親虎、田原親盛
ゆかりの地  豊後国 奈多八幡宮
 豊後国 今市城
 豊前国 妙見嶽城
 豊後国 高崎山城
 豊後国 岡城
略歴 ●国東の旗頭
????年 (1歳)
豊後国国東半島の奈多八幡大宮司で今市城主、奈多鑑基の子として生まれる。

●養子
大友家家臣、武蔵田原家の養子に。

●二階崩れ
1550年 (??歳)
二階崩れの変により、大友義鎮(宗麟)が家督を相続。

●実妹
妹が大友義鎮(宗麟)の正妻に。

その後、大友家中で台頭。

1557年 (??歳)
勝山城の戦で大内家が滅亡すると、妙見嶽城に入り、毛利家に備える。

1565年 (??歳)
大友宗麟の加判衆に。

1570年 (??歳)
主君、大友宗麟豊後国豊前国筑後国筑前国肥後国肥前国日向国伊予国半国を支配下に。

今山の戦

●洗礼と隠居
1576年 (??歳)
大友宗麟がキリシタンに帰依。

●耳川の戦
1578年 (??歳)
耳川の戦で総大将を任されるが島津義久に大敗。

戦後、敗戦はキリシタン帰依のためと主張するが、責任を問われ所領の一部を没収される。

1581年 (??歳)
大友宗麟の三男で甥の大友親盛を養嗣子として、その後家督を譲る。

田原本家の田原親貫が謀反を起こすと、それを討伐。

●島津の侵攻
1586年 (??歳)
島津氏の豊後国侵攻を受け、高崎山城に入城。

大友宗麟が大坂に赴き、豊臣秀吉に援助を求める。

戸次川の戦で豊臣勢が敗北したため、豊後国を島津家に奪われる。

1587年 (??歳)
豊臣秀吉九州攻めを行い、島津家を服従させる。

大友義統豊後国一国を拝領。

大友宗麟死没。

●中川氏
1593年 (??歳)
主君、大友義統、朝鮮における軍事行動の失態により改易に。

岡城主、中川秀成に仕える。(2千石)

●旧主の元へ
1600年 (??歳)
関ヶ原の戦の直前、宗像鎮続や吉弘統幸らとともに旧主、大友義統の元へ集まり、黒田官兵衛と戦うが敗北、中川家に帰参。

その後、西軍の太田一吉との戦で討死に。(佐賀関の戦)
死没 1600年11月9日(慶長5年10月4日) (享年??歳)
レクイエム 主君の大友宗麟はキリシタン大名として有名であるが、奈多八幡大宮司であったこともあり反キリシタン筆頭だった。