山中に隠れていた三成を発見した農民出の大名
田中吉政たなか よしまさ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1548年(天文17年)
生誕地 近江国
 
 
幼名  
久兵衛、田中長政、田中吉政
官名 従四位下筑後守、兵部大輔、侍従など
近親など 子:田中吉次、田中忠政など
関連人物 主君:宮部継潤羽柴(豊臣)秀吉羽柴(豊臣)秀次
ゆかりの地  三河国 岡崎城
 筑後国 柳川城
略歴 ●農民
1548年 (1歳)
近江国の農民の子として生まれる。(異説あり)

その後浅井長政の家臣、宮部継潤に仕える。

●秀吉への随身
1579年頃 (32歳)
羽柴(豊臣)秀吉に仕える。

その後、羽柴(豊臣)秀次に仕える。

●秀次の家老
1585年 (38歳)
秀吉の養嗣子となった羽柴(豊臣)秀次の筆頭家老に。

この後、安土の城下町を八幡山城下に移すなど、内政に手腕を発揮。

1590年 (43歳)
小田原城攻めでは山中城攻めで貢献。

その功により、三河国岡崎城主(7万石)に。

その後、岡崎の城郭や城下町を改修。

1595年 (48歳)
秀次事件では、家老だったにも関わらず連座の対象とはならず。

1598年 (51歳)
豊臣秀吉死没。

その後は徳川家康に従う。

●三成捕縛
1600年 (53歳)
関ヶ原の戦では東軍につき、最前線で石田三成勢と戦闘。

勝利後、三成の佐和山城を攻略するなど貢献。

また、伊吹山中に隠れていた石田三成を探し出し捕縛。

●筑後
戦後は、筑後国一国を拝領し柳川城主に。(32万5千石)。

水郷柳川の開発や、有明海の干拓などを行う。

1609年 (62歳)
死没。
レクイエム 同じ近江出身の石田三成とは仲が良かったようで、秀次事件も三成の口添でお咎めなしにされたと言われる。

捕縛された三成も、吉政に捕まって良かったと漏らしたとされる。

街造りになどに才を発揮した優れた内政家。
死没 1609年3月23日(慶長14年2月18日) (享年62歳)