一人娘を伊達政宗に嫁がせた
田村清顕たむら きよあき
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画像  
誕生 ????年(????年)
生誕地  
田村隆顕
 
幼名  
元服名  
田村清顕
官名  
近親など 正室:於北(相馬顕胤の娘)
弟:田村氏顕
娘:愛姫(田村御前・伊達政宗の正室)
ゆかりの地  陸奥国磐城 三春城
略歴 ●田村氏
????年 (1歳)
陸奥国磐城田村の領主で三春城主、田村隆顕の子として生まれる。

●佐竹家との抗争
1571年 (??歳)
常陸国佐竹義重の拠点、寺山城を攻める。

同時に佐竹義重から領内の滑津を攻められるが、重臣の大叔父、田村月斎(顕頼)がこれを撃退。

1574年 (??歳)
父、田村隆顕が死没したことから、家督を相続。

1574年 (??歳)
佐竹義重から領内の赤館を攻められるが、蘆名盛氏らと連合しこれを撃退。

蘆名盛氏二階堂盛義らと敵対。

●孤立
蘆名家、白河家、佐竹家が和睦したことから、周囲のほとんどが敵対勢力に。

1576年 (??歳)
北方の安積郡へ侵攻し併呑。

1577年 (??歳)
蘆名盛隆二階堂盛義岩城常隆に安積郡を挟撃されるがこれを撃退。

白河城を攻め落とす。

●伊達家との婚姻
1579年 (??歳)
一人娘の愛姫を、出羽国羽前米沢城主、伊達輝宗の嫡男、伊達政宗に嫁がせる。

これにより、奥州に置ける勢力関係は、伊達・田村連合(米沢・三春)と、佐竹・蘆名・白河・二階堂・岩城・石川らの連合(常陸・岩城・会津・白河・須賀川)に二分される。

その後、敵対勢力との抗争が激化。

1583年 (??歳)
小浜城主、大内定綱が連合軍側に寝返り、その討伐戦を繰り返すが敗北。

1584年 (??歳)
伊達政宗が伊達家当主に。

1585年 (??歳)
伊達政宗大内定綱攻めに参陣、勝利。

その際伊達政宗は、小手森城内の大内家の降兵や家人、約800人を撫で斬りに。(小手森城の撫で斬り)

1586年 (??歳)
急死。後嗣がなく、相馬家と伊達家の介入を受けた跡継ぎ争いが起こるが、伊達政宗の推す甥の田村宗顕が当主に。
死没 1586年11月19日(天正14年10月9日) (享年??歳)
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