信長の関東方面司令官兼遊撃隊長
滝川一益たきがわ かずます
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誕生 1525年(大永5年)
生誕地 近江国 大原村
滝川一勝(かずまさ)(滝川資清との説も)
幼名 久助
官名 左近尉、左近将監
近親など 子:滝川一忠、滝川一時、滝川辰政など
養子:滝川雄利
ゆかりの地  尾張国 蟹江城
 伊勢国 伊勢長島城
 上野国 厩橋城(前橋城)
 伊勢国 桑名城
略歴 ●甲賀
1525年 (1歳)
甲賀の国人、滝川一勝(滝川資清とも)の子として生まれる。

●信長への随身
その後(天文年間)織田信長に仕え、頭角をあらわす。

1567年 (43歳)
北伊勢攻略を任され、功を立てる。

●蟹江城主
1569年 (45歳)
織田信長の伊勢制圧(大河内城の戦)後、これまでの功績から尾張国蟹江城主に。

1573年 (49歳)
第二次伊勢長島攻め後の伊勢長島の監視役として、伊勢国矢田城に入る。

●伊勢長島城主
1574年 (50歳)
第三次伊勢長島攻め北畠(織田)信雄の副将として水軍を率いて参陣し勝利。北伊勢5郡を拝領し、伊勢長島城を居城に。

1575年 (51歳)
甲斐国武田勝頼との長篠の戦に参陣。

1576年 (52歳)
第一次木津川の戦に参陣。毛利水軍に大敗。

1577年 (53歳)
紀伊国雑賀攻めに参陣。

1578年 (54歳)
第二次木津川の戦で、九鬼嘉隆の建造した鉄甲船6隻で毛利水軍に勝利。

1579年 (55歳)
第一次天正伊賀の乱で大敗。

1581年 (57歳)
第二次天正伊賀の乱で貢献。

●武田攻めと関東方面司令官
1582年 (58歳)
武田勝頼攻め(天目山の戦)で、信長の嫡男織田信忠を補佐し、事実上の総大将として活躍、勝頼を自害に追い込む。

その功から、上野国一国と信濃国の小県郡と佐久郡を拝領し、関東方面司令官に。厩橋城(前橋城)を本拠に。(約50万石)

本能寺の変織田信長が討たれたことから、北条氏直に本拠となったばかりの上野国を攻められ大敗し上野国を失い(神流川の戦)、伊勢国に戻る。
このことから清洲会議への出席資格を失う。

●秀吉との対立
1583年 (59歳)
賤ヶ岳の戦では柴田勝家に味方するが敗戦。

その後伊勢国長島城を攻められ降伏、所領を失い蟄居処分に。

1584年 (60歳)
小牧・長久手の戦では羽柴(豊臣)秀吉に従うが、織田信雄徳川家康に蟹江城を攻められ開城。

これにより出家。

その後、越前国の大野に捨扶持をもらい、晩年をすごす。

1586年 (62歳)
死没。
レクイエム 伊勢国攻略後もそこにとどまらず、各地へ転戦していたように、織田軍団の遊撃軍だった。

織田四天王のひとりとして活躍したが、織田信長の死後急激に没落し、死ぬまでの3年間はいいことがなかった。

茶の湯に入れ込んでおり、関東の上野国に配された際、領地よりも信長の家宝の茶器「珠光小茄子」が欲しかった、と嘆いた。
死没 1586年10月21日(天正14年9月9日) (享年62歳)