信雄の重臣となり高禄を与えられた
滝川雄利たきがわ かつとし
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誕生 1543年(天文13年)
生誕地  
実父:木造具康(?)、養父:滝川一益
木造俊茂の娘(?)
幼名  
主玄、滝川一盛、滝川雄利、羽柴雄利、一路
官名 従五位下、下総守、刑部卿法印
近親など 正妻:滝川一益の娘
子:滝川正利など
ゆかりの地  伊賀国 丸山城
 伊勢国 神戸城
 常陸国 片野城
略歴 ●木造氏
1543年 (1歳)
伊勢国司、北畠家の重臣、木造家に生まれる。

その後源浄院で僧籍となり、主玄と名乗る。

●織田氏の伊勢攻略戦
1569年 (17歳)
織田信長の伊勢平定戦の際、信長の重臣、滝川一益との交渉を経て、主君の木造具政を説得、織田家に寝返らせる。

北畠具教が信長に降伏し、伊勢国は織田の支配下に。(大河内城の戦

その後還俗し滝川一益の婿養子となり、滝川一盛と名乗る。

●信雄の付家老
信長の二男、織田信雄(北畠具豊)が北畠家の養子に送り込まれると、その付家老に。

1575年 (23歳)
北畠具教北畠具豊(織田信雄)に家督を相続。

1576年 (24歳)
一揆を煽動した北畠具教を攻め討つ。(三瀬の変)
(具教の側近を味方に付け、具教の太刀が抜けないように細工をして討ち取ったとされる)

●伊賀攻略
1578年 (26歳)
伊賀国平定の拠点として丸山城を築城。

1579年 (27歳)
伊賀国国人の反抗を受け撤退。(第一次天正伊賀の乱

1581年 (29歳)
第二次天正伊賀の乱では、伊賀国国人たちの調略に成功するなど貢献。

戦後、北畠具豊(織田信雄)から伊賀国守護を拝命し、丸山城主に。

●本能寺の変
1582年 (30歳)
本能寺の変が起こると、北畠具親が反乱を起こすがこれを鎮圧。

主君の北畠具豊(織田信雄)が織田信雄と改名すると、滝川雄利と改名。

1584年 (32歳)
主君北畠具豊(織田信雄)、三家老(津川義冬・岡田重孝・浅井長時)を手討ちに。

小牧・長久手の戦の際は、羽柴(豊臣)秀吉に内応を誘われるが拒否。

その後、羽柴(豊臣)秀吉と主君織田信雄の和睦を成功させる。

羽柴(豊臣)秀吉の命を受け、小牧・長久手の戦でともに戦った徳川家康の元講和の使者として派遣される。

これらの功により、羽柴姓を拝領。

その後、北伊勢経営を任される。

1587年 (35歳)
九州攻めに従軍。

●主君の失脚
1590年 (38歳)
小田原城攻め後、主君北畠具豊(織田信雄)徳川家康の旧領三河国遠江国駿河国への移封命令を拒否したことから領地を没収されるが、北伊勢を安堵され神戸城主として留まる。(2万石)

その後、秀吉の御伽衆に。

1594年 (42歳)
7千石を加増される。

1595年 (43歳)
5千石を加増される。

豊臣秀次事件に連座するが、お咎めなしとされる。

●関ヶ原
1600年 (48歳)
関ヶ原の戦では西軍についたことから、戦後改易となり再び出家、一路と名乗る。

●常陸
1601年 (49歳)
許されて常陸国片野藩主となり、徳川家康の御伽衆に。(2万石)

1610年 (59歳)
死没。
死没 1610年3月21日(慶長15年2月26日) (享年59歳)
レクイエム 僧籍から還俗し大名となったことから安国寺恵瓊を彷彿とさせるが、略歴などから推定される人物像は恵瓊よりも穏やかな性格で、強い意志と人を惹きつける魅力を待つ。