たった16人で城を奪った智謀の軍師
竹中半兵衛たけなか はんべえ
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誕生 1544年9月27日(天文13年9月11日)
生誕地 美濃国
竹中遠江守重元(美濃国、菩提山の領主)
杉山久左衛門の娘(妙海大姉)
幼名  
竹中重虎、竹中重治(本名)
官名 なし
近親など 正妻:いね(安藤守就の娘)
弟:竹中重矩
子:竹中重門など
ゆかりの地  美濃国 菩提山城
 美濃国 稲葉山城(後の岐阜城
 播磨国 三木城
略歴 1544年 (1歳)
美濃国、菩提山領主、竹中遠江守重元の子として生まれる。

●家督相続
1562年 (19歳)
父、竹中重元の死により家督を相続、そのまま美濃国斎藤龍興に仕える。

●稲葉山城乗っ取り事件
1564年 (21歳)
斎藤龍興の悪政を諫めるために、わずか16人で稲葉山城(のちの岐阜城)ののっとりに成功。
その際織田信長から城の明け渡しを要請されるが、のっとりは主君を諫めるためのものとして拒否、斎藤龍興に城を返す。

その責任を取って隠居し、弟、竹中重矩に家督を譲る。

●秀吉の軍師
1567年 (24歳)
織田信長に仕え、羽柴(豊臣)秀吉の与力になる。

秀吉からその智謀を高く評価され、軍師として重用されるように。

1570年 (27歳)
金ヶ崎の退き口姉川の戦で、名参謀振りを発揮。

1573年 (30歳)
小谷城の戦に参陣、京極丸攻略で功をたてる。

1575年 (32歳)
長篠の戦でも活躍。

1579年 (36歳)
三木城兵糧攻めを提案。

この頃、黒田官兵衛の子松寿丸(黒田長政)を人質としていたが、黒田官兵衛有岡城荒木村重に幽閉され、それが裏切りであると判断されたことから、松寿丸を誅するよう織田信長に命じられる。
しかし機転を利かせ、松寿丸を美濃国菩提山城にかくまう。

三木城兵糧攻めの最中に持病の労咳が悪化し、一時京都に戻り療養するが、望んで戦場の播磨国に戻り、陣中で病死。
レクイエム 斎藤家を出て隠居していた半兵衛を、羽柴(豊臣)秀吉が何度も訪れた末に軍師になってもらった、という説もあるほど、若い頃から智謀にたけた人物で、「昔楠今竹中」とまで言われ、楠正成の再来と称えられた。
死没 1579年7月6日(天正7年6月13日) (享年36歳)