内乱に悩まされ続けた若狭守護家当主
武田義統たけだ よしずみ
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誕生 1526年(大永6年)
生誕地 若狭国
武田信豊
六角定頼の娘
幼名 彦二郎
武田信統、武田晴信、武田義統(武田元栄、武田義元、武田義統とも)
官名 治部少輔、伊豆守、大膳太夫
通称  
近親など 弟:武田信方、武田元康
正妻:足利義晴の娘
子:武田元明
ゆかりの地  若狭国 後瀬山城
略歴
●若狭武田家
1526年 1歳 若狭守護家当主で後瀬山城主、武田信豊の子として生まれる
その後元服し、武田信統と名乗る
1548年 23歳 12代将軍、足利義晴の娘と結婚
この頃、足利義晴から偏諱を受け、武田晴信と名乗る
●父の追放と家督
1556年 31歳  晴信を廃嫡し、弟の武田元康を後継にしようとした父、武田信豊と対立
    これを受けて、叔父で新保山城主の武田信高も父に味方したため劣勢となるが、信高が死没
    重臣、辺見昌経が松永久秀の弟、松永長頼の援助を受けて反旗を翻し、武田信豊方につく
1558年 33歳 父、武田信豊を追放、家督継承に成功
    ●朝倉家の介入
その後も家臣たちの反乱が続いたことから、越前国朝倉義景に援助を求める
1561年 36歳  朝倉義景の援軍とともに辺見昌経と戦い勝利、昌経を居城の砕導山城から退去させる
1563年 38歳  朝倉義景若狭国に侵攻、反朝倉派で国吉城主の粟屋勝久を攻める
1565年 40歳 義兄の将軍、足利義輝松永久秀や三好三人衆に急襲され討ち死に(永禄の変
1566年 41歳 足利義輝の弟、足利義昭から将軍就任への協力を要請されるが、粟屋勝久らが晴信の子、武田元明を担いで反乱を起こし、義昭の入府を阻止
内乱の為自ら出国ができなかったことから、実弟、武田信景を足利義昭の家臣につかせる
1567年 42歳 死没
レクイエム 以上のように、義統の頃の若狭守護家の力は著しく衰え、三好政権や隣国の越前朝倉家の介入を受けざるを得ない状況だった。
死没 1567年5月16日(永禄10年4月8日) (享年42歳)