父信玄に反抗した嫡男
武田義信たけだ よしのぶ
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誕生 1538年(天文7年)
生誕地 甲斐国
武田信玄
三条の方(信玄正室)
幼名 太郎
武田義信
官名  
通称 太郎
近親など 正妻:嶺松院(今川義元の娘)
弟:武田勝頼仁科信盛など
ゆかりの地  甲斐国 躑躅ヶ崎城
 甲斐国 東光寺
略歴 ●武田家の嫡男
1538年 (1歳)
甲斐国武田晴信(信玄)の嫡男として生まれる。

1550年 (13歳)
元服し、将軍足利義輝より一字を賜り、武田義信と名乗る。

飯富虎昌が傅役に付く。

1552年 (15歳)
甲相駿三国同盟の一環で、駿河国今川義元の娘と結婚。

1554年 (17歳)
初陣。

●妻の実家との敵対
1560年 (23歳)
岳父今川義元が、桶狭間の戦で討ち死に。

これをきっかけに、父武田晴信(信玄)が三国同盟を破棄し、駿河国への侵攻を開始。

1561年 (24歳)
第四次川中島の戦に参陣。

●義信事件
1565年 (28歳)
父信玄への謀反が発覚し、廃嫡の上東光寺に幽閉される。

首謀者とされる重臣、飯富虎昌は切腹。
(義信事件)

1567年 (30歳)
自害。
死没 1567年(永禄10年)10月 (享年30歳)
レクイエム 東光寺での死は、自害説のほかに病死説もある。

父信玄への反抗の理由は、信玄が上洛を目指すために、妻の実家である駿河国今川家への侵略を図ったためである。