息子信玄に追放された武田の棟梁
武田信虎たけだ のぶとら
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誕生 1494年(明応3年)
生誕地  
武田信縄
岩下氏
幼名 五郎
武田信直
官名 左京太夫、陸奥守など
通称  
近臣など 正妻:大井の方=瑞雲院(大井信達の娘)
子:武田信玄武田信繁、定恵院(今川義元正室)、禰禰(諏訪頼重正室)など
弟:勝沼信友
妹:小山田信有の正妻
ゆかりの地  甲斐国 躑躅ヶ崎館
 信濃国 高遠城
略歴 1494年 (1歳)
甲斐国守護、武田信縄の嫡男として生まれる。

●家督相続と甲斐統一
1507年 (14歳)
父、武田信縄の死により家督を相続。

1508年 (15歳)
武田の家督を狙っていた、叔父で勝山城主の油川(武田)信恵を攻めて討ち取る。
(坊峰合戦)

1510年 (17歳)
甲斐国東部(郡内)の小山田家に、妹を嫁がせて支配。

郡内方面の目付けとして、弟の武田(勝沼)信友を勝沼氏館に置く。

1515年 (22歳)
駿河国今川家の援軍を受けていた、上野城(椿城)主、大井信達と敵対。

1517年 (24歳)
今川家が遠江国攻略を優先したことから和睦。
大井信達は2千の援軍を失ったため降伏し、娘(瑞雲院)を嫁に差し出す。

1519年 (26歳)
現在の甲府に躑躅ヶ崎館を築城し居城に。

●大軍への奇襲
1521年 (28歳)
駿河国の今川家が派した福島正成の1万5千に攻められるが、2千の寡兵にも関わらず奇襲により勝利。(上条河原の戦)
これにより、甲斐国をほぼ統一。

●四方が敵に
1524年 (31歳)
この頃、相模国の北条家、駿河国の今川家、信濃国の諏訪家と、四方を敵に回す。

1528年 (35歳)
信濃国の諏訪家攻めに失敗。

1531年 (38歳)
信濃国の諏訪家に攻められるが勝利。(河原部の戦)

1535年 (42歳)
駿河国今川氏輝が都留郡に進出、山中(山中湖)にて戦う。

●和睦政策への転換
1536年 (43歳)
今川氏輝が急死。

今川家の後継争い(花倉の乱)で今川義元を支援したことから、関係が好転し同盟を結ぶ。

1537年 (44歳)
定恵院(長女)を今川義元に嫁がせる。

相模国の北条家とも和睦。

1540年 (47歳)
娘(禰禰)を和睦した諏訪頼重に嫁がせる。

その後、信濃国の佐久郡へ侵攻。

●駿河へ追放
1541年 (48歳)
重税や度重なる徴兵、家臣や領民への残虐な行為などの悪政、嫡男の晴信ではなく信繁に家督を継がせようとしたことなどから、武田晴信(信玄)板垣信方らのクーデターにあい駿河国に追放される。

娘婿である駿河国今川義元に庇護される。

1560年 (67歳)
今川義元が桶狭間で織田信長に討たれる。

これを受けて今川家のっとりを企てるが露見し、駿河国から追われる。

●高遠での余生
その後将軍足利義輝の相判衆をつとめる。

武田信玄亡きあとは、孫の武田勝頼の庇護を受け信濃国高遠で余生を送る。

1574年 (81歳)
死没。
死没 1574年3月27日(天正2年3月5日) (享年81歳)