武田家を支えた信玄の実弟、典厩信繁
武田信繁たけだ のぶしげ
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1525年(大永5年)
生誕地 甲斐国
武田信虎
大井夫人(大井信達の娘)
幼名 次郎
武田信繁(元服名)
官名 左馬助
通称 典厩(左馬助の唐名)
近親など 実兄:武田信玄
子:武田信豊など
ゆかりの地  甲斐国 躑躅ヶ崎城
略歴 ●信玄の弟
1525年 (1歳)
甲斐源氏で甲斐国守護、武田信虎の四男として生まれる。

幼少時から文武に秀で、父武田信虎は長男の武田晴信(信玄)ではなく信繁に家督を譲ろうとしたほど。

●父の追放
1541年 (17歳)
武田信虎が駿河に追放され、兄武田晴信(信玄)が武田家17代当主に。

●信玄の片腕
その後、信玄の片腕として活躍。

1558年 (34歳)
99条の家訓を制定。

1561年 (37歳)
第4次川中島の戦では本隊に属したが、啄木鳥戦法を上杉謙信に読まれ苦戦となり、本隊を守るための捨て駒になることを決意し、乱戦の中で村上義清に討たれる。
死没 1561年(永禄4年)9月 (享年37歳)
レクイエム 父の愛情を一身に集めた際、兄に替わって後継に収まってしまっては大義にもとると、否定的な考えであった。

討ち死にを知った信玄は、「惜しみよも尚惜しむべし」と涙を流してその死を悼んだといわれる。

嫡男の信豊に残した家訓が、後の信玄家法下巻の基になったとされている。