毛利家に討たれた安芸武田家の当主
武田元繁たけだ もとしげ
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誕生 1467年(応仁元年)
生誕地  
武田元綱
 
幼名  
武田元繁、武田元重
幕職 安芸国3郡(佐東、山県、安南)の守護代 
近親など 正妻:飛鳥井氏(大内義興の養女)、後に尼子氏
子:武田光和など
ゆかりの地  安芸国 佐東銀山城
略歴 ●守護代の子
1467年 (1歳)
安芸国3郡の守護代で、佐東銀山城主、武田元綱の子として生まれる。

●大内氏への服従
1493年 (27歳)
明応の政変に乗じた周防国の太守、大内義興から侵攻を受け、服従。

1505年 (39歳)
父、武田元綱が死没。これにより家督を相続。

●上洛
1508年 (42歳)
大内義興が、明応の政変で将軍職を追われていた足利義材を奉じ上洛する際、従軍。

これにより、現将軍、足利義澄についていた若狭武田家(惣領家)の武田元信から独立。

大内義興が足利義澄を再度将軍職につける(足利義稙)。
これ以降、管領代となった大内義興に従い、京都に駐留。

●帰国・独立
安芸国内で厳島神主家の家督争いが起こると、大内義興から平定を命じられ帰国。

その後、大内家からの独立を図り、妻の飛鳥井氏(大内義興の養女)を離縁、出雲国の太守尼子家から正妻を娶り、その後ろ盾を得る。

その後、安芸国内での勢力増大に努める。

1515年 (49歳)
己斐城の己斐宗端を攻めるが、落とせず。

1516年 (50歳)
安芸国内で対立していた毛利興元が病死し、幼少の子、幸松丸(毛利元就の甥)が当主に。

1517年 (51歳)
毛利家、吉川家に奪われていた有田城奪回のため出陣するが、討ち死に。
有田中井手の戦
死没 1517年(永正14年)10月 (享年51歳)
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