マニラへ追放されたキリシタン大名
高山右近たかやま うこん
トップページ 戦国年表 人物 合戦・出来事 国と郡 城・社寺 関連表 用語集 公開記録 参考文献 プロフィール・リンク メール
画像
誕生 1552年(天文21年)
生誕地 摂津国 高山
高山友照
 
幼名 彦五郎
元服名  
高山長房(右近は自称)、ドン・ジュスト(洗礼名)
官名 従五位下大蔵少輔
近親など  
ゆかりの地  摂津国 高槻城
 越中国 高岡城
略歴 ●三好家家臣
1552年 (1歳)
畿内の実力者三好長慶に仕えていた、高山友照の嫡男として生まれる。

●洗礼
1564年 (13歳)
キリスト教の洗礼を受ける。洗礼名ユスト(ジュスト)。

三好長慶死没。

●信長への随身
1568年 (17歳)
将軍となった足利義昭の家臣の和田惟政が、織田信長から摂津国高槻城を与えられると、その配下に。

1571年 (20歳)
和田惟政荒木村重配下の中川清秀に討たれ、幼い和田惟長が後を継ぐ。

1573年 (22歳)
主君、和田惟長の高槻城をのっとる。
これは荒木村重の協力を得た謀反であったという説が有力。

●荒木村重の反乱
この後、荒木村重の配下に。

その後、父から家督を譲られる。

1578年 (27歳)
荒木村重織田信長に対し謀反を起こした際、翻意を促すが失敗。

織田信長から、降参しなければキリシタンの皆殺しを行うとの通達を受け退城。

この行いが織田信長から認められ、そのまま高槻城主にとどまる。
(父、高山友照は村重に従う)

1579年 (28歳)
荒木村重有岡城から脱出。父、高山友照は追放処分に。

●秀吉への随身
1582年 (31歳)
本能寺の変織田信長を討った明智光秀から尽力を求められるが拒否し、羽柴(豊臣)秀吉に従う。

山崎の戦では羽柴(豊臣)秀吉の先鋒として活躍。

1583年 (32歳)
賤ヶ岳の戦では岩崎山砦の守備を担当。
大岩山砦を守備していた中川清秀は戦死。

その後、キリシタン大名として、多くの大名に影響を与える。

1585年 (34歳)
播磨国明石へ転封となり、船上城を築城開始。(修築説も)

●バテレン追放令
1587年 (36歳)
豊臣秀吉からバテレン追放令が出されたが、大名の地位を捨て去り、キリスト教徒としての道を選ぶ。

その後、父とともに小西行長の庇護下に。

●前田家の庇護
1588年 (37歳)
前田利家に知行1万5千石で招かれる。

金沢城修築に貢献。

1599年 (48歳)
前田利家死没後も、後継の前田利長から庇護される。

1609年 (58歳)
前田利長越中国高岡城築城に貢献。

●マニラ
1614年 (63歳)
徳川家康のキリシタン追放令に従い、フィリピンのマニラへ。

マニラでは、スペイン人総督から歓迎される。

1615年 (64歳)
マニラで死没。
死没 1615年2月4日(慶長20年1月8日) (享年64歳)
レクイエム 大名の地位よりもキリスト教を選んだ、まれにみる豪気なキリシタン大名。

茶道では千利休の門下で、利休七哲のひとりでもあった。