父信玄も落とせなかった堅城の攻略に成功
高天神城の戦(第一次)
たかてんじんじょうのたたかい
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西暦 1574年
和暦 天正2年5月
写真
高天神城
場所  遠江国 高天神城
関連する略図
概要 ●信玄の死後
1572年、上洛戦を開始し三方ヶ原の戦徳川家康に完勝した武田信玄三河国で死没したあと、徳川家康は失地を回復するための軍事行動を始めていた。

1573年8月、家康は三河国北部(奥三河)の長篠城主、奥平貞昌(信昌)を寝返らせることに成功した。

●高天神城
これに激怒した武田勝頼は2万5千の軍勢を率いて南下し、1574年5月に、徳川家康遠江国東部における重要拠点で、小笠原信興が守る高天神城に攻めかかった。

信興(長忠)はただちに徳川家康に援軍を要請するが、家康としても本拠の浜松城遠江国西部)を武田の別働隊に攻められる恐れがあり、また兵力も1万程度しか保有していなかったことから、同盟者の織田信長への援軍を要請するしかなかった。

●信長の援軍
京都でこの援軍要請を受けた織田信長は、3万の軍勢を率いて遠江国へ向かうが、進軍は遅々としており、5月28日に本拠の岐阜城に入り2週間以上経った6月14日にやっと出陣する、というものだった。

この時までに信長は、越前国朝倉義景近江国浅井長政を滅ぼしてはいたものの、強敵本願寺や伊勢国長島の一向一揆などの敵対勢力は健在で、戦線を東に拡大できないという事情があったためである。

●降伏
その間に西の丸を武田勢に落とされ、兵糧もわずかとなり高天神城内の士気は低下、そして6月18日、小笠原信興は籠城をあきらめ武田勝頼に降伏した。

武田勝頼は父、武田信玄も落とせなかった高天神城を攻略したのである。
(ただし信玄は高天神城を攻めてはいない、という説もあり)

その後、小笠原信興は、武田勝頼の命により駿河国東部へ移封され、高天神城には岡部元信が城代として入城する。