禅僧から今川家の名軍師となった
太原雪斎たいげん せっさい
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誕生 1496年(明応5年)
生誕地 駿河国
庵原政盛
興津藤兵衛の娘
幼名  
九英承菊、太原崇孚、太原雪斎、宝珠護国禅師
官名
近親など  
ゆかりの地  駿河国 駿府城
 駿河国 臨済寺
 駿河国 長慶禅寺
略歴 ●庵原家
1496年 (1歳)
駿河国庵原城主、庵原政盛の子として生まれる。

●仏門
1505年頃 (10歳)
駿河国善得寺に入門。

1509年頃 (14歳)
剃髪し九英承菊と名乗る。

1522年 (27歳)
仏門に入った今川家五男、承芳(芳菊丸・今川義元)の養育係となる。

1531年 (36歳)
芳菊丸とともに、京都五山の建仁寺で学ぶ。

1534年 (39歳)
建仁寺を出て妙心寺に入り、名を太原崇孚とする。

●駿河
1535年 (40歳)
今川家当主今川氏輝と、その弟の彦五郎が急死。

承芳を伴って駿河国の善得寺に戻る。

●義元の参謀
1536年 (41歳)
花倉の乱で玄広恵探に勝利した承芳(芳菊丸)が還俗し今川義元と名乗り、今川家を相続。

雪斎はそのまま義元の参謀に。

1537年 (42歳)
今川義元甲斐国武田信虎と同盟し、その娘を義元の正室に。

これにともない、東(相模国)の北条家との関係が悪化。

その後、雪斎も兵を率いて北条家との戦を重ねる。

1549年 (54歳)
尾張国織田家の台頭に脅威を覚えた三河国の松平家を帰属させる。

織田家に奪われていた安祥城を攻略、城代の織田信広を捕らえ、松平家長男竹千代(徳川家康)を人質交換の上取り戻す。

●相甲駿三国同盟
1554年 (59歳)
今川義元の嫡子氏真の嫁に相模国北条氏康の娘を迎え、東からの脅威を排除。(相甲駿三国同盟)

1555年 (60歳)
長慶禅寺で死没。
死没 1555年(天文24年)10月 (享年60歳)
レクイエム 僧籍にいた今川義元を、東海一の弓取りといわれるまでに補佐し成長させた名軍師である。