大内家に攻め滅ぼされた大宰府次官家
少弐資元しょうに すけもと
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誕生 1491年(延徳3年)
生誕地  
少弐政資
 
幼名  
 
官名 太宰少弐、肥前守
近親など 正妻:大友親治の娘
兄:少弐高経
子:少弐冬直、千葉胤頼、少弐政興、少弐元盛など
ゆかりの地  筑前国 高祖城
 肥前国 西島城
 肥前国 勢福寺城
略歴 ●名門
1491年 (1歳)
大宰府の次官(少弐)家である少弐家当主、少弐政資の末子として生まれる。

●滅亡と再興
1497年 (7歳)
中国の大内義興に攻められ、高祖城主の父、少弐政資と兄、少弐高経が戦死、少弐家は一時滅亡。

その後、家臣の横岳資貞の居城、肥前国西島城で養育される。

1498年 (8歳)
肥前国勢福寺城にて再起を図る。

1507年 (17歳)
幕命により、大内家と和睦。

その後、大内家と対立する豊後国の大友義長に接近し、幕府から大宰府少弐を拝命。

1528年 (38歳)
家督を、子の少弐冬直に譲り、大宰府へ戻る。

大内氏を継いだ周防国大内義隆が、少弐家の再興に脅威を感じたことから再び攻勢を受け、家臣の横岳資貞、筑紫尚門、千葉勝胤らが大内家に寝返る。

これを受けて、子の少弐冬直のいる、勢福寺城に入城。

●大内氏の侵攻
1530年 (40歳)
大内義隆が派遣した杉興連の大軍1万に攻められるが、家老で、水ヶ江城主、龍造寺家兼や島清久の協力を得て勝利。
(田手畷の戦い)

1534年 (44歳)
大内義隆が派遣した陶興房に攻められるが、龍造寺家兼の活躍にて再び勝利。

大内義隆率いる3万の大軍に攻められ、居城の勢福寺城を攻略される。
龍造寺家兼を仲介に、大内義隆と和議を結ぶ。

1536年 (45歳)
大内義隆から攻められ、領地を没収され自害に追い込まれる。
死没 1536年1月22日(天文4年12月29日) (享年45歳)
レクイエム 力を失くした名門の末路は哀れである。