信玄に滅ぼされた諏訪大社の大祝
諏訪頼重すわ よりしげ
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誕生 1516年(永正13)
生誕地 信濃国諏訪
諏訪頼隆
 
幼名 宮増丸
 
官名 刑部大輔、安芸守
近親など 正室:禰々(武田信玄の妹)
側室:小見の方(小見氏)
子:長岌(寅王丸)、諏訪御料人武田信玄の側室、武田勝頼の母)
弟:諏訪頼高
ゆかりの地  信濃国 上原城
 信濃国 桑原城
略歴 1516年 (1歳)
諏訪大社上社の惣領兼大祝で上原城主、諏訪頼隆の子として生まれる。

●幼き大祝
1520年 (5歳)
幼くして、父、諏訪頼隆から大祝を譲られる。

その後、諏訪家は甲斐国の守護大名、武田信虎と敵対。

1530年 (15歳)
父、諏訪頼隆が死去。

●武田との和睦
1535年 (20歳)
諏訪家が武田家と和睦。

1539年 (24歳)
祖父で家長の諏訪頼満が死去し、家督を相続。

1540年 (25歳)
甲斐国の守護大名、武田信虎の娘禰々と結婚。

1541年 (26歳)
武田信虎村上義清らとともに信濃国佐久の海野棟綱を攻め、上野国へ追う。(海野平の戦)

●武田との争い
武田信虎が、子の武田晴信(信玄)から追放される。

この後、武田家が信濃国への侵攻を本格化。

1542年 (27歳)
武田晴信(信玄)と、晴信に調略された上伊那の高遠頼継や諏訪下社の元大祝、金刺昌春の連合軍に上原城を攻められ、支城の桑原城で降伏。

甲斐国府中へ連行されたのち、自害を命じられ、東光寺で自害。
死没 1542年8月31日(天文11年7月21日) (享年27歳)
レクイエム 娘は武田晴信(信玄)の側室となり諏訪御料人と呼ばれ、のちに信玄の後継者となる勝頼を産むことになる。