伊達家と長年争った磐城の将
相馬義胤そうま よしたね
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誕生 1548年(天文17年)
生誕地  
相馬盛胤
懸田義宗の娘
幼名  
元服名  
孫次郎
官名 従五位下、長門守など
近親など 弟:相馬隆胤など
子:相馬利胤、相馬三胤など
孫:相馬義胤(第二代相馬中村藩主・同姓同名)
ゆかりの地  陸奥国磐城 小高城
 陸奥国磐城 相馬中村城
GOOGLE MAP 陸奥国磐城 牛越城
略歴 ●相馬家
1548年 (1歳)
陸奥国磐城小高城主、相馬盛胤の子として生まれる。

1563年 (16歳)
敵対する伊達家に寝返った、中村城代の草野直清討伐に初陣。

●家督相続
1578年 (31歳)
父、相馬盛胤から家督を相続。

家臣の黒木宗俊、堀内宗和の謀反が発覚したことから、両者を追放。

1581年 (34歳)
伊達輝宗との戦の際、先鋒の佐藤為信が伊達家に寝返り、金山城と丸山城を取られそうになるが、守り切る。

1582年 (35歳)
伊達輝宗から金山城と丸山城を再び攻められるが、守り切る。

●伊達との和睦
1584年 (37歳)
伊具郡を明け渡す条件で、伊達家(伊達輝宗伊達政宗父子)と和睦。

1585年 (38歳)
伊達政宗と対面。

●再びの対立
人取橋の戦では、和睦していた伊達家ではなく、反伊達連合軍につく。
これにより、再び伊達家と対立。

1589年 (41歳)
多くの領土を伊達政宗に侵略される。

1590年 (42歳)
相馬中村城代で弟の相馬隆胤が、伊達家との戦(童生淵の戦)で討ち死に。

●惣無事令
伊達家からの降伏勧告にも従わず、決戦による滅亡を覚悟するが、豊臣秀吉の惣無事令や小田原城攻め開戦により回避。

豊臣秀吉に行方、宇多、標葉の3郡を安堵される。

1598年 (50歳)
牛越城を居城とする。

●改易の危機
1600年 (52歳)
関ヶ原の戦では中立の立場をとる。

1602年 (54歳)
関ヶ原の戦での傍観を咎められ、改易処分となるが、訴訟において西軍の上杉家を攻めた証拠を提示し、改易処分は取り消しとなる。

1615年 (67歳)
大坂夏の陣では、病身の嫡子、相馬利胤に代わって参陣。

1625年 (68歳)
嫡男で当主の相馬利胤が死没。

その後は、孫の虎之助(第二代相馬中村藩主の相馬義胤)を後見。

1635年 (87歳)
相馬中村城で死没。
死没 1635年(寛永12年)11月 (享年87歳)
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