朝鮮との関係修復に功があった
宗義智そう よしとし
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誕生 1568年(永禄11年)
生誕地 対馬国
宗将盛
 
幼名 彦三
元服名 宗昭景
官名 対馬守・侍従
近親など 正妻:マリア(小西行長の娘)
子:宗義成など
ゆかりの地  対馬国 金石城
略歴 ●対馬守護家
対馬国守護で金石城主、宗将盛の五男として生まれる。

●家督相続
1579年 (12歳)
宗家(守護家)を継いでいた兄、宗義純から家督を譲られる。

●秀吉の臣下
1587年 (20歳)
豊臣秀吉九州攻めの際、臣下につく。

●朝鮮への先鋒
1592年 (25歳)
文禄の役(朝鮮出兵)では、義父の小西行長とともに先鋒部隊として渡海。

しかし元々朝鮮との貿易に大きく関わっていたことから、和平を斡旋する立場にいた。

和議の動きに伴い、明の使者とともに帰国。

1595年 (28歳)
文禄の役の功により、薩摩国出水に1万石を拝領。

1596年 (29歳)
朝鮮との和議がならず。

1597年 (30歳)
慶長の役(第二次朝鮮出兵)でも、小西行長とともに渡海し朝鮮軍と戦う。

1598年 (31歳)
豊臣秀吉の死没により、朝鮮侵略が中止になり帰国。

戦後、薩摩国の領地は没収され、肥前国田代に替地を得る。

●関ヶ原
1600年 (33歳)
関ヶ原の戦では小西行長に従い西軍につく。

●朝鮮外交責任者
戦後は肥前国の領地を没収されただけで許され、朝鮮との関係修復役を命じられる。

1609年 (42歳)
朝鮮との和議(慶長条約)の締結に成功。

1615年 (48歳)
死没。
死没 1615年(天正20年)1月 (享年48歳)
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