諏訪を完全に平定した信玄
塩尻峠の戦しおじりとうげのたたかい
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西暦 1548年
和暦 天文17年7月
関連する場所  信濃国 上原城(信玄の諏訪の拠点)
 信濃国 林城(小笠原長時の居城)
 信濃国 村井城(信玄が築城した前線基地)
略図
概要 ●揺れる諏訪
天文11年(1542年)に諏訪頼重を攻め、信濃国の諏訪を手に入れた武田晴信(信玄)だったが、その6年後の天文17年(1548年)に諏訪の北方、佐久の平定戦である上田原の戦で、諏訪郡代としていた重臣、板垣信方村上義清に討たれるなど、情勢は安定したものではなかった。

これに乗じて、一度は武田晴信(信玄)に臣従した諏訪家の旧臣、花岡家や矢島家(諏訪西方衆)が、信濃国守護、小笠原長時を後ろ盾に武田家に反旗を翻した。

小笠原長時は5000の兵を率いて、松本平からの諏訪への入り口、塩尻峠に着陣、諏訪の武田勢を見下ろす形となった。

●信玄出陣
これを甲斐国躑躅ヶ崎館で知った武田晴信(信玄)は、すぐに出陣するが、その行軍は遅々としていた。
そして7月19日に上原城に入ると、その夜突如夜襲に出た。
まさか、入城した夜に出陣するとは思っていなかった小笠原勢は不意を衝かれ大混乱となり、総勢の2割にあたる1000もの兵を討たれる大敗となった。

●信濃平定へ
これにより、武田晴信(信玄)は諏訪を完全に掌握し、小笠原長時の居城、林城への付城として村井城を築き、翌々年の天文19年(1550年)には小笠原長時を松本平から追い、深志城(後の松本城)を築城し馬場信春を城代に置き、信濃国の完全掌握に向けた拠点とする。