越前へ派遣された一向一揆の指導者
下間頼照しもつま らいしょう
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誕生 1516年(永正13年)
生誕地  
下間頼清
 
幼名 源次
頼照、頼昭、述頼、筑後法橋、理乗
官位 筑後守
近親など 子:下間仲孝
ゆかりの地  摂津国 石山本願寺(のちの大坂城
 越前国 観音丸城
略歴 ●本願寺の僧
1516年 (1歳)
浄土真宗(一向宗)の総本山、摂津国石山本願寺の坊官、下間頼清の子として生まれる。

(中略)

1570年 (55歳)
本願寺が織田信長と対立。(石山合戦

●越前
1574年 (59歳)
越前国の支配者、富田長繁と一向一揆が対立。

加賀国の七里頼周が越前国に入り一向一揆の指導者となって、富田長繁を討伐。

これにより、越前国も一向一揆の支配下に。

本願寺住職顕如の命により越前国へ入り、その後事実上の守護に。

一向一揆による支配を快く思わない国人たちが敵対するが、これを攻め滅ぼす。

1575年 (60歳)
織田信長が1万5千の兵を率いて越前国へ侵攻してくると、木ノ芽峠の観音丸城で迎え撃つが落城、逃走中、対立する真宗高田派の門徒に討ち取られる。
死没 1575年(天正3年8月?) 享年60歳
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