水城と化した高松城で抵抗を続けた
清水宗治しみず むねはる
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誕生 1537年(天文6年)
生誕地 備中国
清水宗則
 
幼名 才太郎
通称 長左衛門
官名  
近親など 兄:清水宗知(月清入道)
ゆかりの地  備中国 清水城(場所は推定)
 備中国 備中高松城
略歴 1537年 (1歳)
備中高松城、石川久孝の家臣で清水城主、清水宗則の子として生まれる。

1560年 (24歳)
毛利家の小早川隆景の臣下として、父とともに尼子家の白鹿城攻めに参陣。

●家督相続
1561年 (25歳)
父、清水宗則が死没。家督を相続。

●備中高松城主
1575年 (39歳)
妻の父である石川久孝の死没により、備中高松城主に。

●信長との対立
1580年 (44歳)
毛利の東端の前線に居たことから、中国に進出してきた織田家の羽柴(豊臣)秀吉と対立。

●秀吉の水攻め
1582年 (46歳)
羽柴(豊臣)秀吉備中高松城の水攻めにあうが徹底籠城。

本能寺の変織田信長死没の情報を知らぬまま、開城して城内の兵を助けるために、湖と化した足守川に舟で漕ぎ出し、兄月清入道らとともに切腹。

辞世は、「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」
レクイエム 羽柴(豊臣)秀吉からの内応を誘われるが、毛利家への忠誠厚く最後まで屈しなかった。

切腹の直前、舟の上でひと差し舞を演じた。
死没 1582年6月23日(天正10年6月4日) (享年46歳)