朝鮮や南蛮との貿易で巨利を得た
島井宗室しまい そうしつ
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誕生 1539年(天文8年)
生誕地  
島井茂久
 
通称 徳太夫
島井徳太夫茂勝、島井宗室(出家名)、虚白軒瑞翁(号)
官名  
近親など 正室:神屋道寿の娘
養子:島井信吉(徳左衛門)
関連人物  
ゆかりの地  筑前国 博多の宗室屋敷跡
 筑前国 崇福寺(墓所)
略歴 ●博多の商人
1539年 (1歳)
博多の商人、島井茂久の子として生まれる。

1573年 (35歳)
豊後国の太守で博多の支配者となった大友宗麟と取引を始め、その庇護下で富を得る。

この頃、堺の茶人、天王寺屋道叱や千利休と懇意に。

●上洛
1582年 (44歳)
神屋宗湛とともに上洛し、織田信長に謁見。

本能寺の変の際、空海自筆の「一切経千字文」を戦火から救い出す。

その後羽柴(豊臣)秀吉の保護の下、博多から畿内の海上交通路整備や南蛮や朝鮮との貿易を行い巨利を得る。

●反戦
1592年〜 (54歳〜)
文禄の役(朝鮮出兵)慶長の役(第二次朝鮮出兵)の際、反戦を主張したことから豊臣秀吉の怒りを買い、一時蟄居の身に。

1598年 (60歳)
豊臣秀吉が死没。

1600年 (62歳)
関ヶ原の戦

筑前国へ転封となった黒田長政福岡城築城などに協力。

1610年 (72歳)
養嗣子の島井信吉(徳左衛門)へ、17条の遺訓を残す。

1615年 (77歳)
死没。
死没 1615年10月16日(元和元年8月24日) (享年77歳)
レクイエム 茶具の三肩衝のひとつ、楢柴肩衝の所有者としても有名。

豪商ではあったが、生活は至って質素だったといわれている。

徳左衛門への遺訓は5000字の長文だが、現代の会社における「社訓」のルーツといわれる。