九州の大半を手に入れた薩摩の猛将
島津義弘しまづ よしひろ
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誕生 1535年(天正4年)
生誕地 薩摩国
島津貴久
雪窓婦人(入来院重聡の娘)
幼名 又四郎
島津忠平、島津義珍、島津維新入道など
官名 兵庫頭、従四位下、侍従、少将、参議、贈正三位など
近親など 正室:北郷忠孝の娘、亀徳(相良晴広の娘)、実窓夫人(広瀬夫人、園田実明の娘)
兄:島津義久
弟:島津歳久、島津家久
子:島津久保など
養子:島津忠恒(家久)
ゆかりの地  日向国 飯野城
 薩摩国 内城
 大隅国 富隈城
 大隅国 国分城
略歴 ●島津氏
薩摩国大隅国日向国の守護島津貴久の二男として生まれる。

1554年 (20歳)
初陣。

1564年 (30歳)
日向国飯野城主に。

1572年 (38歳)
木崎原の戦で、わずかな兵力で日向国の伊東家に勝利。

1577年 (43歳)
伊東家を追放。

1578年 (44歳)
豊後国から南下した大友宗麟に勝利。(耳川の戦

1584年 (50歳)
肥前国沖田畷の戦で、弟の島津家久龍造寺隆信を討つ。

●家督相続
1585年 (51歳)
子供のいない兄島津義久から家督を譲り受ける。(時期については異説有り)

肥後国の阿蘇家を下し配下に。

●九州の覇者
1587年 (53歳)
戸次川の戦に勝利し、筑前国豊前国を除く九州一円を配下に。

●秀吉に降伏
20万の大軍で九州攻めを行った豊臣秀吉に、最後まで抵抗するが、兄島津義久の説得にやむなく降伏。

本城である、内城に移る。

1592年〜1597年 (58歳〜63歳)
二度に渡る朝鮮への侵攻(文禄の役慶長の役)に参陣。

1595年
居城を大隅国富隈城に移す。

1598年 (64歳)
朝鮮からの引き上げでは殿軍を勤め、わずかな手兵で李舜臣の水軍に勝利するなど貢献。
鬼石曼子(シーマンズ)と呼ばれ、恐れられた。

●関ヶ原
1600年 (66歳)
関ヶ原の戦の直前、初め東軍の徳川家康方についていたが、西軍の蜂起の際鳥居元忠の守る伏見城への入城ができず、仕方なく西軍につき伏見城攻め(伏見城の戦)にも参加。

戦いの直前、夜討ちによる先制攻撃を提案するが石田三成に取り入れられず、これが尾をひいいたこともあり、合戦開始後も全く動こうとしなかった。

西軍の敗北が決定的になったあと、敵陣への突破という捨て身の戦法で難を逃れ(島津の退き口)、海路薩摩国に戻り、桜島に蟄居。
この退却戦で、重臣である島津豊久(甥)や長寿院盛淳が討ち死に。

家督を、養子で兄、島津義久の子、島津忠恒(家久)に譲る。

1602年 (68歳)
当主、島津忠恒(家久)が上洛して徳川家康に謝罪、これにより島津家は薩摩国大隅国など77万石を安堵される。

1604年 (70歳)
大隅国に国分城(舞鶴城)を築き移る。

1619年 (85歳)
死没。
死没 1619年(元和5年)7月 (享年85歳)
レクイエム 生涯52度の戦に出陣した猛将であり、有能な島津4人兄弟の中でも、突出した存在であった。

秀吉への降伏は、兄島津義久の懸命な説得でやっと聞き入れた。

家康が許したのは、天下静謐の早期実現には、遠国の強敵島津氏を懐柔するのが最善策だったためと思われる。