関ヶ原からの退却戦で華と散った
島津豊久しまづ とよひさ
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誕生 1570年(元亀3年)
生誕地  
島津家久
樺山善久の娘
幼名 豊寿丸
又七郎、島津忠豊、島津豊久
官名 侍従、中務大輔など
近親など 叔父:島津義久(島津家当主)、島津義弘(義久のあとの当主)など
正妻:島津忠長の娘
ゆかりの地  日向国 佐土原城
略歴 ●島津家四男の子
1570年 (1歳)
薩摩国大隈国日向国の守護島津義久の弟、島津家久の子として生まれる。

1577年頃 (8歳)
父、島津家久日向国佐土原城主に。

1584年 (15歳)
父が、沖田畷の戦肥前国龍造寺隆信を討ち破る。

1585年 (16歳)
叔父の島津義弘が、本家を相続。

1587年 (18歳)
父が、戸次川の戦豊後国の大友家に勝利し、島津家は筑前国豊前国を除く九州一円を配下に。

●家督相続
豊臣秀吉九州攻めを受け、豊臣秀長と講和したあと、 父が病死。
これにより家督を相続、佐土原城主に。

1590年 (21歳)
豊臣秀吉小田原城攻めに従軍。

1592年〜1597年 (23歳〜28歳)
文禄の役慶長の役では、島津義弘とともに朝鮮へ渡海。

1598年 (29歳)
豊臣秀吉死没。

1599年 (30歳)
伊集院家の反乱(庄内の乱)が起こる。

1600年 (31歳)
庄内の乱を平定。

●関ヶ原での殊勲
関ヶ原の戦では島津義弘とともに西軍につくが敗北。
戦後、敵陣への突破という捨て身の戦法で島津家当主の島津義弘薩摩国へ逃がすことに成功するが、途上討ち死に。
死没 1600年(慶長15年)9月 (享年31歳)
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