三成が高禄で召抱えた過ぎたる家老
島左近しま さこん
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誕生 1540年6月9日(天文9年5月5日)
生誕地 大和国
島豊前守
 
幼名  
島左近勝猛、島清興
官名  
近親など 子:島信勝、島友勝、島清正、娘(小野木重勝の正室)、珠(柳生利巌の室)など
ゆかりの地  近江国 佐和山城
 美濃国 関ヶ原
略歴 ●大和
1540年 (1歳)
大和国椿井城主、島豊前守の子として生まれる。

●畠山家
その後、河内国守護、畠山高政に仕える。

1562年 (23歳)
畠山高政に従い、教興寺の戦に参陣するが敗北。

●筒井家
その後、大和国郡山の筒井順慶に仕える。

1570年 (31歳)
辰市城の戦に参陣。

1582年 (43歳)
織田信長本能寺の変で倒れた後、去就に迷っていた筒井順慶羽柴(豊臣)秀吉方につくよう進言したことから、山崎の戦伊賀国に1万石を拝領。(異説あり)

1584年 (45歳)
筒井順慶の死後、跡を継いだ筒井定次にも仕える。

1588年 (49歳)
領内の用水問題から筒井定次に失望し、筒井家を出奔。

●三成の家老
1591年 (52歳)(1592年説あり)
石田三成に家老として仕える。(2万石(1万5千石とも))

1590年 (51歳)
石田三成近江国佐和山19万石に移封され、佐和山城主に。

これを受けて、「三成に過ぎたるものがふたつあり 島の左近と佐和山の城」と歌われる。

1598年 (59歳)
三成が加藤清正福島正則から襲撃されるようになると、敵視している徳川家康の元へ逃げ込むという奇策を進言。

●関ヶ原
1600年 (61歳)
関ヶ原の戦の前日、杭瀬川の戦で中村一栄隊、有馬豊氏隊に勝利し、西軍の士気を高める。

翌日の関ヶ原の戦では、黒田長政細川忠興加藤嘉明らの隊と交戦するも、黒田隊の鉄砲に当たり負傷。

その後三成を逃すために奮戦中討ち死に。
レクイエム 謎の多い武将で、三成の家老になる前は、秀吉の弟豊臣秀長に仕えていたという説もあるが、そうなると三成が禄高の半分で左近を召抱えたことと矛盾してしまう。

伊賀国一国拝領説についても、筒井順慶が秀吉から伊賀国を与えられた際にはすでに出奔していたという説もあり、そうなると拝領してはいなかったことになる。

官吏派の三成は、自分に軍略の才が欠けていることをよく知った上で、自分の俸禄の半分を与えるという驚異的な条件で左近に仕官を依頼した。
死没 1600年10月21日(慶長5年9月15日) (享年61歳)