6年間の反乱で上杉景勝を苦しめた
新発田重家しばた しげいえ
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誕生 1547年(?)(天文16年)
生誕地 越後国
新発田綱貞
 
幼名  
源太、五十公野治長、新発田重家
官名 因幡守
近親など 兄:新発田長敦
ゆかりの地  越後国 新発田城
略歴 ●新発田氏
1547年 (1歳)
越後国の揚北衆(あがきたしゅう)で、新発田城主、新発田綱貞の次男として生まれる。

1548年頃 (2歳)
父、新発田綱貞が長尾景虎(上杉謙信)に従う。

●五十公野家の養子
次男だったこともあり、五十公野の養子となり、治長と名乗る。

長尾景虎(上杉謙信)に従い、川中島の戦や関東の北条氏攻めにも参陣。

1578年 (32歳)
上杉謙信死没。

御館の乱では、安田顕元の要請を容れ上杉景勝に味方し勝利。

●新発田家相続
1580年 (34歳)
兄で新発田家当主の新発田長敦の死により、新発田家を継ぎ重家と名乗る。

●不満と反乱
その後、御館の乱での恩賞に不満を持ち始める。

1581年 (35歳)
越中国の上杉領への進出を狙っていた織田信長や会津の蘆名盛隆と通じ懇意に。

上杉景勝に不満を持つ加地秀綱らとともに、反乱を起こす。
新発田重家の乱

1582年 (36歳)
南から攻めてくる織田家への対応で動けない上杉景勝の命を受け、本庄繁長、色部長真らと対陣。

織田信長本能寺の変で討ち死にしたことから、南からの脅威がなくなった上杉景勝とも直接対陣。

1583年 (37歳)
八幡の戦で上杉景勝と激戦となるが、決着せず。

1584年 (38歳)
上杉景勝の家老、直江兼続に攻められるが勝利。

1585年 (39歳)
上杉景勝の調略を受けた味方の寝返りが始まる。

新潟城、沼垂城を攻め落とされる。

1586年 (40歳)
上杉景勝が、豊臣秀吉の臣下となる。

1587年 (41歳)
豊臣秀吉の支援を受けた上杉景勝新発田城を攻められ、自害。(新発田重家の乱
死没 1587年(天正15年)11月 (享年41歳)
レクイエム 上杉景勝への反乱は結局6年に及んだ。