長浜城ごと秀吉に寝返った勝家の甥
柴田勝豊しばた かつとよ
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誕生 1556年(弘治2年)
生誕地  
実父:吉田次兵衛(次兵衛の養子、渋川八左衛門説あり)
養父:柴田勝家
柴田勝家の姉
幼名 伊介
吉田氏、柴田勝豊
官名 伊賀守
近親など 正室:稲葉貞通の娘
ゆかりの地  越前国 丸岡城
 近江国 長浜城
略歴 ●柴田勝家の甥
1556年 (1歳)
尾張国織田氏の家臣、柴田勝家の甥として生まれる。

叔父柴田勝家が、織田信長を廃し信長の弟織田信行を擁立するために、林通勝や林通具と兵を起こすが敗北。(稲生の戦

その後、 叔父柴田勝家織田信長の筆頭家老となる。

●勝家の養子
その後、柴田勝家の養子に。

●越前丸岡城
1575年 (20歳)
叔父柴田勝家越前国(49万石)の支配を任せられ北ノ庄城主となると、その内丸岡4万5千石を任され、丸岡城を築城し城主に。

1581年 (26歳)
京都での馬揃えに、叔父柴田勝家とともに参加。

1582年 (27歳)
叔父柴田勝家越前国加賀国能登国越中国を支配下に入れ、越後国上杉景勝に迫る。

●信長の死・秀吉との対立
本能寺の変

清洲会議の結果、近江国長浜城に入城。

羽柴(豊臣)秀吉の誘降を受け、寝返る。

1583年 (28歳)
賤ヶ岳の戦の決戦を前に、病死。
レクイエム 秀吉への寝返りの原因は、勝家が別の甥である佐久間盛政の方を重用し始めたためと言われる。

勝豊の死後8日目に、勝家は北ノ庄城にて壮絶な最期を遂げる。
死没 1583年6月6日(天正11年4月16日) (享年28歳)