壮絶な最期をとげた鬼の権六
柴田勝家しばた かついえ
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誕生 1522年(大栄2年)(異説あり)
生誕地 尾張国
柴田勝義(異説あり)
 
幼名  
柴田権六(権六郎)
官名 修理亮など
近親など 正室:お市の方織田信長妹)
養子:柴田勝豊、など
ゆかりの地  近江国 長光寺城
 越前国 北ノ庄城
略歴 ●尾張
1522年 (1歳)
尾張国上社村に生まれる。

その後織田信秀の家臣となり、上社村を領す。

●信長廃嫡派
1551年 (30歳)
信秀の死後、林通勝らとともに、信長ではなく弟の織田信行を織田家の跡取に推すが叶わず。

1556年 (35歳)
織田信長を廃し、信長の弟織田信行を擁立するために、林通勝や林通具と兵を起こすが敗北。(稲生の戦

●信長の筆頭家老
その後、再度織田信行が謀反を画策していることを織田信長に知らせる。

その後の戦ではことごとく貢献し、鬼の権六と恐れられる。

その後、織田信長の筆頭家老に。

1568年 (47歳)
信長の上洛戦に従軍。

1570年 (49歳)
琵琶湖南岸に進出していきた六角承禎(義賢)に対するため、長光寺城に入城。
水の手を絶たれながらも六角勢を撃退。(長光寺城の戦)

野田・福島の戦

志賀の陣

1571年 (50歳)
第一次伊勢長島攻めで苦戦し、退却戦で負傷。

1572年 (51歳)
信長から離反した松永久秀が交野城攻めを開始すると、その平定に向かい勝利。(交野城後ろ巻き)

1573年 (52歳)
越前国朝倉義景攻めに従軍

小谷城の戦に従軍。

第二次伊勢長島攻めに従軍。

●越前
1575年 (54歳)
越前国に起こった一向一揆に対し、7万の兵を率い総大将として出陣し攻略に成功。

越前国(49万石)の支配を任せられる。

北ノ庄城を築城し居城に。

前田利家佐々成政不破光治佐久間盛政金森長近などを配下に、織田家の北陸方面司令官として、越後国の上杉に備える。

●加賀・能登・越中へ
1577年 (56歳)
手取川の戦加賀国)で上杉謙信に敗北。

1578年 (57歳)
上杉謙信
が死没。
これにより加賀国能登国越中国の攻略を強化。

1580年 (59歳)
一向一揆の重要拠点、金沢御堂を攻略。

1581年 (60歳)
能登国を平定し、与力の前田利家が信長から能登国を与えられる。

1582年 (61歳)
上杉家の影響下にあった加賀一向一揆を、与力の佐久間盛政らが平定。

与力の佐久間盛政が、信長から加賀国を与えられる。

越中国魚津城の戦で、上杉家に勝利。

これらにより越前国加賀国能登国越中国を支配下に入れ、越後国上杉景勝に迫る。

●信長の死・秀吉との対立
本能寺の変で主君信長を失い、清洲会議羽柴(豊臣)秀吉に織田家での主導権を握られ、これをきっかけに秀吉と対立。

信長の妹で、浅井長政の未亡人お市の方を正妻に。

甥で長浜城主の柴田勝豊が、羽柴(豊臣)秀吉に寝返る。

1583年 (62歳)
秀吉との決戦賤ヶ岳の戦で、重臣で甥の佐久間盛政の深追いから劣勢となり、越前国へ退却、その際与力の前田利家にも裏切られる。

秀吉勢に本拠北ノ庄城を攻められ、妻、お市の方とともに壮絶な自害。
レクイエム 長光寺城の戦で、六角勢に水の手を絶たれた際、逆に水瓶(がめ)を割りわずかに残っていた水を捨てることで、城兵の士気を高め勝利に導いたと言う。
これにより、瓶割り柴田と呼ばれるようになった。

鬼の柴田は、後輩の秀吉の配下に甘んじるよりは潔い死を選んだ。

辞世は。「夏の夜の夢路儚き(はかなき)後の名を雲井にあげよ山不如(ほととぎす)」
死没 1583年6月14日(天正11年4月24日) (享年62歳)