表千家、裏千家の基を築いた、大茶頭
千利休せんの りきゅう
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誕生 1522年(大永2年)
生誕地 和泉国 堺
田中与兵衛
宝心妙樹
幼名 与四郎
宗易(法号)など
近親など  
ゆかりの地  和泉国 堺
 山城国 北野天満宮
 山城国 大徳寺
略歴 ●茶の湯
和泉国堺の魚商の子として生まれる。

子供の頃から茶の湯に親しみ、茶人の弟子となる。

●信長の茶頭
1568年 (47歳)
織田信長が上洛を果たし、堺に矢銭を課す。

商人の中には信長に抵抗するものも多かったが、今井宗久の紹介で信長に拝謁し茶頭となる。

●秀吉の側近
1582年 (61歳)
本能寺の変

その後は豊臣秀吉に仕え、重要な側近のひとりとして、政治面でも影響力を持つように。

1585年 (64歳)
秀吉の関白就任御礼の禁中茶会で、秀吉の後見人をつとめる。

1587年 (66歳)
秀吉の北野天満宮大茶湯を取り仕切る。

●秀吉の不信
1589年 (68歳)
大徳寺の山門楼上に、自分の木像を飾ったことや、自作の茶道具を不当な高値で販売をしていたことなどを咎められ、秀吉の側近から遠ざけられる。

1591年 (70歳)
秀吉の命により切腹。
辞世は「人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛」
死没 1591年(天正19年)2月 (享年70歳)
レクイエム 表千家、裏千家の基を作った、大茶人。

秀吉から遠ざけられた理由は、他にも諸説あり。
例えば利休の娘を秀吉が側室に望んだが断った、など。

また、秀吉の側近が利休をはじめとする堺衆(堺の商人たち)の台頭を快く思わず、讒訴したことも考えられる。